「日本の政治は「愛がない」 本土に歴史問い続けた翁長氏」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2018年8月11日05時01分)から。

 8日に67歳で急逝した沖縄県翁長雄志(おながたけし)知事は、沖縄初の戦後生まれの知事だった。軸足を置いたのは「日本」とは異なる戦後を歩んだ沖縄の歴史。基地問題をめぐって国と向き合わなければならない沖縄県知事の難しい立場にあって、米軍普天間飛行場宜野湾市)の県内移設反対を貫き、冷淡さを増す本土の政治に徹底して異を唱えた。

 「今やっと沖縄が飛び立とうとしている。(基地の県内移設によって)足を引っ張ることは容認できない」。名護市辺野古の埋め立て承認の撤回を表明した7月27日。翁長氏は会見で、思いがあふれ出すように沖縄の将来を語った。これが公の場に姿を現した最後になった。

 40代で自民県連幹事長を務めるなど、元々は県内の自民のエースだった。移設推進の旗振り役だった時期もある。しかし2009年、民主党鳩山由紀夫代表が「最低でも県外」と唱えて衆院選で圧勝。自民県連は「辺野古移設反対」に転じ、翁長氏も公然と政府を批判するようになった。

 だが、身近な人たちは「政権交代は『転向』の最後のきっかけに過ぎない」と口をそろえる。

父も保守政治家

 1950年生まれ。父は県内最初の沖縄戦の慰霊碑と言われる「魂魄(こんぱく)の塔」の建立に尽力し、真和志市(現・那覇市)の市長や立法院議員などを務めた保守系政治家の助静(じょせい)氏だ。

 (後略)

(上遠野郷、伊藤和)