昨日は、チリのクラスメートのマージ(仮名)の家でパーティがあり、出かけてきた。
大きなパーティで、飲んで踊って大騒ぎだった。大きなアパートなので、泊めさせてもらった。こちらのパーティでは踊りはつきものだ。自分もダンスにつき合うが、多少の進歩はあるけれど大胆には踊れない。日本酒を持っていくと、南米の人たちが喜んでくれた。楽しいのだが、時たま楽しめないこともある。英語では冗談もうまく言えないので、苦痛になるときがある。大騒ぎの中で一人になりたい気持ちに襲われたりするときもあるのだけれど、踊りが上手で、陽気で、解放的な性格のクラスメートのエリザベス(仮名)が、「楽しんでる?」と尋ねてくれたり、踊りに誘ってくれる。彼女は、ヘーゲルを学び、カントを愛する倫社の先生である。以前、彼女に「『認識』って日本語でどう書くの」と休憩時間に尋ねられ、「認識」という漢字を書いてあげると、これが「認識」かと驚いていた。「みんなこれが書けるのか」と聞くので、「一定の年齢になったら大体書けるようになる」と答えると、ますます驚いていたことがある。教室では私はあまり喋らず、憂鬱な顔をしていることが多いけれど、私に関しても、いい人だと褒めてくれる。ま、彼女はみんなに対して明るいのだけれど。こちらも、南米の人は情熱的で好きだなどと言ったりする。「くそったれ」(sh*t)を意味するスペイン語のコーニョを連発し、乾杯の意味のサルートを繰り返す中、スイス人の女性が、私の日本語の名前はスペイン語のような響きがあると言ったり、私の容姿は日本人のようでないとか、互いに下らぬことを言っているうちに夜が更けていった。
この前の、私の家での日本食パーティは、踊りナシでも、楽しいものだった。フランス人のクラスメートのガールフレンドのスーザン(仮名)は、アメリカ人としては、私の気に入っているアメリカ人の一人である。性格ががさつでなく、彼女となら楽しく話ができる*1。
スーザンには以前コミュニケーションスキルの授業のアシスタントのフレッド(仮名)のパーティで会っているから、昨日、フランス人のクラスメートのニコラ(仮名)から「君の英語力、以前よりずっと良くなったとスーザンが言ってたよ」と言われた。今の俺は、こんな褒め言葉に弱く、感謝し、全く嬉しくなってしまう。
昨日のパーティで、ニコラも来ていたのだが、「スーザンは来ないの?」と聞くと、彼女は映画に行っているというので、ニコラに「スーザンはいい人だ」というと、スーザンもそう言ってたと、ニコラに言われた。英語では自分をうまく表現できないので、自分の存在を証明する方法がない。そのために不安になる。自分も単純で、多少英語が伸びたとか、”I like you.” “She likes you.”などと言われると、ホッとする。それほど、今の自分は暗闇の中にいるということなのだ。
今日は、ジュディのパーティだったが、そのことは明日書くことにする。