「わたくしにとっての外国語 -国際連帯の手段としてー」芝田進午(1982)

学校英語にいま何が (1982)

 以下、「学校英語にいま何が」大浦暁生・阿原成光編(三友社出版)(1982年)より。

 わたくしにとっての外国語 -国際連帯の手段としてー

                           芝田進午

 

 もう十五年ほど前のことですが、わたくしの息子が、幼稚園の先生から「お父さんの職業は?」とたずねられて、「お手紙を書くお仕事です」と答えたことがあります。わたくしの日常の仕事といえば、いつも机にむかい、タイプライターをたたいていましたので、そのことがわたくしの職業だと息子は思いこんでいたのです。

 それ以前からもそうでありましたが、わたくしの日常の仕事は、あいもかわらず、机にむかい、タイプライターをたたくことばかりで、そのあいまに、講義をしたり、論文を書いたり、デモにでかけたりという生活が、もう三十年間もつづいています。もし、わたくしの執筆活動を量であらわすとしますと、論文・著書の執筆にあてている時間やエネルギーはおそらく全体の五分の一くらいで、のこりの五分の四は、主として外国語で手紙を書くことにあてられているといえそうです。わたくしの文通内容の一部は、一九六五年三月、アメリカのベトナム侵略と核軍拡政策に抗議して焼身行為をおこなったアリス・ハーズさんの書簡集『われ炎となりて』(決定版、青木文庫)という形で、はからずも公にされました。あの本によって、わたくしの文通活動の内容と量について、おおむね推察していただけるかと思います。

 では、どうして、わたくしはそんなに多くの手紙を外国語(英語とドイツ語)で書くのでしょうか。手紙を書くことが好きなマニアだからでしょうか。いや、わたくしはけっしてそのようなマニアではありません。わたくしは、「ペン・パルを求む」という小広告を英字新聞にのせてもらったことはありませんし、またたんに文通のためだけの目的で外国人に手紙を書いたこともありません。わたくしが手紙を書くのは、もっぱら(一)ヒロシマの意味と核兵器廃絶の必要性を訴える、(二)ベトナム人民をはじめとして、抑圧されてきた民族と連帯する、(三)アメリカをはじめとする帝国主義諸国の人民と連帯するためであり、またそのために、なにかをしないではおれないという義務感に駆りたてられてきたことにあります。

 こうして、わたくしの半生の大部分は、このような国際連帯のためにあてられてきましたが、このことをつうじて、わたくしは、書物を読むことだけでは得られないような貴重なことを、世界の多くの人びとから直接に学んできました。

 第一に、わたくしは、アリス・ハーズさん、ジョン・サマヴィル教授をはじめ、第一級の平和運動家から直接に教えをうけ、世界の現実とともに、人間がいかに実践し、生きるべきかについて、きわめて多くのことを学ぶことができました。第二に、これらの人びとは、第一級の思想家でもありましたので、現代思想の最先端の問題点についても、たえず啓発され、みずからの思想を練りあげることもできました。これらの文通は、わたくしにとって実践と理論・思索の原動力の一つでもあったのです。

 この点で、わたくしは、みずからの語学力の貧弱さをなげき、はずかしく思いつつも、とにもかくにも、この不十分な語学力の習得を援助してくださった外国語の先生方、テキストなどに感謝しないではおれないのです。

                             (広島大学教授)