オセアニアでの議論のレベルは高い

 土ボタルツアーから帰ると、「日本人ですか、日本の自衛隊で知り合いはいますか」と、玄関先で、少し大柄のオーストラリア人に聞かれた。「とくに、いませんけど」と答えると、彼は退役軍人で、分厚い日本の防衛白書を読んだことがあるが、きわめて興味深かったという。現在の日米関係、また豪米関係や、マッカーサー元帥の評価はどうなのかなどと聞いてくる。
 私は第二次世界大戦中に、日本軍がオーストラリアのダーウィンを爆撃したことがあることや、シドニー沖に潜水艦が接近したことがあること、さらにまた、ニューギニアが激戦地となり、オーストラリア軍と日本軍がココダトレイルというジャングルの中の道で死闘を繰り返したことなどを話題にした。「日本では、そうした事実を教育しているのか」というので、残念ながら十分ではないこと。それから、教科書が思想チェックをするための検定を受けており、最近はますます、そうした歴史的事実が教えられていないことを伝えた。残念ながら、日本の青年たちはオーストラリアやアジアの青年たちと対等の議論ができないのではないかと私はみている。これは英語をはじめとする言語に熟達していないという問題ではなく、通訳を通しても議論ができない可能性があるということだ。間違った文部省教育のこれは「成果」であると言えよう。カウラに日本人捕虜収容所があったのだが、こうした歴史的な事実もよく話題になるので、こうした事実を知らないとオーストラリア人と話ができないだろう。日豪関係の戦争映画も、Blood Oath(「血の誓い」)という映画をはじめ、数本わたしは観ているが、もっと知らないといけないと思っていた。中には玉置浩ニが日本兵の役で好演している映画もある。
 相手が軍人と聞くと思想的に偏向しているという偏見を持ってしまうところが私にはあって、それは軍隊アレルギーと言ってもよいものなのだろうが、おそらくこれは、平和憲法、中でも九条の影響であると思っている。憲法九条のない国は、軍隊があるのがいわば当たり前だから、それ自体どうってことはないのだろう。日本ならこうした話題を提供する人間の思想性が狭められ限られた印象をもってしまうが、この男性は極めて冷静に話をする。私は、アメリカ合州国軍による日本の戦後処理は、今のイラクと同じようなもので、アメリカ合州国は、ネイティブアメリカン征服に至るまで、いわゆる明白な宣託ということで合理化し、西へ西へと侵攻していって太平洋までたどり着いた。その後も、ハワイやフィリピン、そして日本まで来て、いろいろと問題を起こしているのではないかという話をした。そもそもイングランド自体が問題で、スコットランドウェールズアイルランドを侵攻し、英語圏的な世界圏をつくってきたのである。英米というのは、20世紀に何かと強い国と褒め称えられているが、そんなに褒め称えるものなのか。アメリカ合州国は、日本の戦後処理で、軍隊は解体したが、政治的に考えて天皇は残した。その意味で、日本の民主化においてこれは課題を残したのである。
 そもそも、暴力が暴力を生むのであって、軍隊で問題が解決できるなら、とっくに解決しているのではないか、力ずくの軍隊では問題はなんら解決などしないと、私は自分の意見を述べた*1
 こうした意見に対しても、それでも、この男性と一貫して冷静に議論ができたのは驚きだった。こちらの人の議論のレベルは高いと思わざるをえない。彼は日本に来たことがあり、大阪の軍関係のコンベンションに参加したことがあるという。最後は握手をして、この男と別れたが、とても長い話になった。私は深い感動とともに、日本での議論のレベルについて考えざるをえなかった。

*1:暴力が暴力を生むというのは、Colman McCarthyなどの平和提唱者が主張していること。例えば、Los Angeles Timesに掲載された"Violence Breeds More Violence"などを参照のこと。