日本の住所表記からお目当ての場所を探し当てることは日本人にとってもむずかしい

 たとえば、主要幹線道路でいえば、たとえばアメリカ合州国の場合は、高速道路が数字で表され、方向を示すのにI-40 Eastといえば、インターステイト40番を東に向かうという意味であり、I-25 Northといえば、インターステイト25番を北へ向かうということになる。偶数番号が東西、奇数番号が南北を走っているから、整然としていて分かりやすい。これからすると、日本の場合は、東京と名古屋を結んでいるから東名高速道路とか、横浜と横須賀を結んでいるから横横道路とか、アメリカ合州国式と比較すれば、ローカル的で、わかりにくい。私はこの事実を、1992年に合州国西部を自動車旅行したときに体験した。
 街中のアメリカ合州国の住所のシステムは、名のある通りを目印にして、その左右に住所が順番に記されているので、通りさえわかりさえずればとても分かりやすい。その一方、日本の住所で、何丁目の何番地を探し当てるのは日本人にとっても結構分かりにくい。私はこの事実を、1981年サンフランシスコに半年滞在したときに学んだ。
 2004年に私が滞在したニュージーランドでも、通りさえ分かれば、場所を探し当てるのは簡単だ。それでも、その通りが分からないと途方に暮れざるをえない。だから、地図には、通りの名前の索引が必ずあって、この索引を使って、A-5などと地図上のエリアで絞っていくことが少なくない。
 まだまだ人口が密集していないニュージーランドでは、町から町の間に何もないところが多い。町に入れば、メインストリートがあって、そこを中心に町が広がっているという感覚だ。こうした街づくりでは、通りの左右に番地が順番に並んでいるのだから、場所を探し当てるのは簡単だ。
 しかし、こうしたところで育った人たちが日本の東京・川崎・横浜に来てみれば、そのカオス的町作りに途方に暮れるに違いない。
 たとえば東京・川崎・横浜と町が連続して続いていて、おまけに東京が人口第一位で、横浜が第二位だというのだから、そうした町を想像することさえ困難に違いない。そして、同様に、極めて当たり前のことなのだが、私たちはそうした相手の気持ちを理解することさえできない。