休憩時間に、いつも隣に座ることになった大男のホアニに、何故マオリ語を習っているのか改めて聞いてみた。ホアニが言うには、70年代以降は、マオリ語のリバイバル運動が盛んになってきたけれども、その前は、文化的にマオリであっても、マオリ語は学校などでは禁止され、話すことはなかったし、さらに都市化したマオリは、文化的にもマオリらしさを失っていったという。「だからマオリ文化やマオリ語を勉強し直さないといけないんだ」と、流暢なイギリス語でホアニは私に言った。
前にも書いたが、ヘミというマオリ語の講師も当然マオリだし、クラスメートにもホアニのようなマオリが多いから、私がちょっとくらいマオリ語を勉強したくらいじゃ褒めてもらえない。日本の英語学習のように、大学の入学試験のためにやっているのでもない。マオリ語のコミュニケーターになるための学習で、いわば真剣勝負なのだ。
2時間にわたるマオリ語の授業が終わってヘトヘトになって、2階の教室から1階に降りて、メンター(師匠)の一人、大男で、とても気持ちの優しいジョンの部屋を訪ねて話をした。彼は、生まれたときから家ではイギリス語で育てられたという。両親がバイリンガルだったという。ジョンも、イギリス語とマオリ語のバイリンガル(二言語話者)で、話コトバに限るなら、一年間で日本語をマスターできる自信があると豪語した。話コトバに限るが、やり方を間違えなければ、私も一年間でマオリ語に熟達するだろうと太鼓判を押してくれた。ただ太鼓判を押してくれても、今の私の助けにも慰めにもならない。
日本語の挨拶も少し知っているジョンはなかなかの物知りだ。さよならを黒板に書いてみてと言われて、「ひらがな」と「カタカナ」で、「さよなら」「サヨナラ」を書いてみた。ジョンは、うなっていたが、確かにこれはアルファベットとは全く別の世界だ。
こういうスタッフがいるから、マオリ語学習は、インチキな勉強になりっこない。日本での外国語の勉強も、朝鮮語を筆頭にして、もっと本格的に学ぶ真剣に体制をつくらないといけないのではないだろうか。英語教育にしたって、日本人教師には海外での研修を増やし、さらに母語話者を登用し、学習者にも海外でのフィールドワークをさせないと、日本での外国語学習のインチキさ加減は減少しないと思う。