CALLの読書課題で面白い論文を二つ読んだ

 もう先週の話になってしまうのだけれど、そのCALLの読書課題で、面白い論文を2つ読まされた。
 CALLの課題は週ごとにテーマが決まっているだが、先週のテーマは、「少数民族言語とCALL」といった感じの内容で、簡単にいえば、話者の減少により言語文化として消滅の危機にさらされている言語が世界では少なくないのだが、これをCALLというハイテク手段を使って保存・復活させていく運動に寄与しようというような内容だ。
 ひとつの論文は、“CALL for Endangered Languages: Challenges and Rewards” (Monica Ward and Josef van Genabith)。
 これを読んで、私は次のような内容を、自分の「意見」と「質問」として英語で書いた。以下は、それを日本語にしたものである。


 この論文の中のいくつかの面白い造語、例えば、「言語的・文化的ジェノサイド(虐殺)」(“Linguistic and Cultural Genocide”), 「言語ファシズム」(“Linguicism”),「テレビ」のことを称して「文化的神経ガス」(“Cultural Nerve Gas”(Krauss, 1992))、「言語の自殺」(“Linguicide”),「言語的自殺」(“Linguistic Suicide”)、「伝統的エコロジカル知識」(“Traditional Ecological Knowledge(TEK))”などを、たいへん興味深く読んだ。
 歴史的にみて、あの小さなイングランドが、他言語の「殺し屋」(killer)や「侵略者」(invader)の役割を果たしたことは周知の事実である。このイギリス語(イングランド語)によってウェールズ語スコットランド語は弾圧され、そしてゲール語アイルランド語)も侵略を受けたように、イングランド語によって犠牲になった言語は少なくない。このイングランドを真似たかのように、日本もいわばイギリス風にふるまい、中国や朝鮮を侵略し、母語を使わせないように弾圧したと言えるのかもしれない。と同時に、この論文の著者が書いているように、今日、「言語的自殺」も少なくないように思う。つまり、経済的・政治的な力関係から、自ら母語を捨てざるをえない、あるいは積極的に捨てていくという傾向である。
 この論文の中で紹介されている「多様性をよいことと考える他のいくつかの文化がある。例えば、母なる女神イタイク(Itaiku)が我々に違った言語を喋らせているのは喧嘩をしにくいようにするためだと、ニューメキシコ州のアコマプエブロインディアンは信じている」(Gill & Sullivan, 1992)”という言説は、ある意味で、今日のマルチカルチャリズムの試金石的言説と言えるのかもしれない。
 母語に対する権利は、基本的人権の中心をなすもので、危機に瀕している言語を復活させる運動は、文化的アイデンティティの一部分として、今日の世界で非常に重要なものであると私は考える。

  • 質問1

 もし、あたなの母語が、今日の世界で主要な言語であるイギリス語であるとして、その母語で生まれ育てられてからというもの、どのような有利な点と、不利な点を得ていると思いますか。同様に、もし、あたなの母語がイギリス語でないとした場合、どのような有利な点と不利な点があると思いますか。

  • 質問2

 ニュージーランドでは、マオリ語とイギリス語という点で、また他の少数民族言語も含めて、言語政策としてどのような言語政策が基本的に取られるべきだと考えますか。


 もう一つの論文は、“Integrating Technology Into Minority Language Preservation And Teaching Efforts: An Inside Job” (Daniel J. Villa)。
 この論文の中では、私も旅行として訪れたことのあるニューメキシコ州立大学でのプロジェクトが紹介されていた。論文の中で、言語学者文化人類学者はネイティブアメリカンの言語文化を「記録」「研究」「報告」していくけれども、土着の文化擁護にちっとも役に立っていない。文化人類学者の多くは、少数民族文化や少数民族言語を、顕微鏡の上の「虫」のように扱っているのではないかと指摘されていたが、この指摘はとりわけ興味深い。
 またハイテクツールは、記録媒体とプレーヤーとの関係が問題化されることが多いけれども、ハイテクツールのおかげで安価に記録できるようになったし、新しい世代が言語文化を守り発展させていくのに、マルチメディアのCD-ROMなどがもつ可能性についても記述されていた。
 この論文に対して私は、次のような「意見」と「質問」を書いた。


 私は、1992年の夏に、アメリカ合州国アルバカーキーでレンタカーを借りて、ランチョデタオスや、タオスプエブロ(Taos Pueblo)、モニュメントバレー(Monument Valley)、カヤンテ(Kayante)、フォーコーナーズ(Four Corners)、メサベルデ(Mesa Verde)などを訪れたことがあります。
 私の観察では、日本人とネイティブアメリカンは互いに共通性を持っているように思われます。日本人の祖先がベーリング海峡をわたって、アメリカ大陸を南下し、それぞれの土地土地に定住したという話はおそらく本当ではないかと思われます。
 バスケットメーカーズと呼ばれているメサベルデの先祖たちは岩場を歩くために「ワラジ」と呼ばれるユッカでつくったサンダルを履いていたようですが、これなどは、私たち日本人の伝統的な履物と全く同じ発音であることに驚かされます。
 これも同様に直感的な観察に過ぎませんが、日本人はマオリとも共通性を持っていると思います。マオリ語の母音の発音、アエイオウは、私の母語である日本語の母音と全くといってよいほど似通っています。
 繰り返しになりますが、母語に対する権利、言語権は、基本的人権の中心を担うもので、譲り渡すことのできない権利です。もしある民族の誇りが奪われるようなことがあれば、言語の復活運動を通じて、奪われた誇りを取り戻すことが必要です。

  • 質問1

 例えば、レコードプレーヤーとレコードの関係のような、あなたの自宅にプレーヤーがないために、死蔵したデータやメディアはありますか。

  • 質問2

 もしあなたが少数民族として生まれて少数民族のコトバを話し、たとえばクラスメートにからかわれとしたら、どのような気がしますか。また、もし社会階層を上昇するのにあなたの母語があまり役に立たないとして、あなたのまわりに、社会階層をのぼるのにより都合のよい別の主要な言語があったとしたら、あなたはどうしますか。