近現代は国境という愚劣なものがあるから想像しにくいのだが、歴史的にみれば、文化間の優劣や文化間の衝突というものは、国境というようなもので簡単に線引きはできない。もっと地理的に接しあっている地域から起こっているはずであり、文化間の優劣や衝突というものは日常的にローカルに起こっていたはずだ。
こうした文化間の優劣・衝突や、植民地的支配・被支配の問題で言えば、地理的に海に囲まれているものの、中国や朝鮮半島から学んだ歴史を日本は持っている。大航海時代には、西洋列強の訪れとともに、ヨーロッパの言語を学んだ歴史がある。国内ではアイヌ語や沖縄語を弾圧・支配し、日本の初めての植民地である台湾、シンガポールなどに日本語を押しつけた歴史はあるが、植民地として日本語が外国語に直接暴力的に支配された体験はない。1945年以降、進駐軍のアメリカ英語の影響を土台にしながらも、今日、いわゆるグローバリズムという新たな世界的新植民地主義に飲み込まれそうな状況の下で、超大言語となった英語と私たちは向きあっている。
こうした状況下での小学校英語教育の問題なのであろう。