「円生と志ん生」を観てきた

円生と志ん生

 「円生と志ん生」は前に観たことがあるが、「円生と志ん生」を観てきた。
 前回は、円生役に辻萬長さん、志ん生役に角野卓造さんだった。今回は、円生役に大森博史さんが、志ん生役にラサール石井さんが演じた。

 前回は10年前。この舞台を観たが、初演は12年前のことだという。

 作者の井上ひさしさんが、「六百日の間に二人に何があったのか」という文章がある。
 その冒頭は次のように始まる。

 『円生と志ん生』を書くきっかけは、ひょんなことから生まれました。
 別の仕事で戦中の大連のことを調べているうちに、志ん生さんと円生さんが六百日滞在してたということがわかったんです。
 しかも、その六百日のことを二人とも語っていない。
 『志ん生一代』をお書きになった結城昌治さんも、そこの部分は想像でお書きになっている。
 更に面白いのは、二人とも満州から帰ってきたあと、見違えるくらい面白い噺家になっている。
 円生さんの高座からは妙な気取りが消えていたし、志ん生さんの高座には天才的な独特のフラが漂うようになった。蛙が女郎を買いに行くという有名なマクラをふるようになったのも、志ん生さんが満州から帰って来て以後のことです。

 なぜそうなったのか…。

 で、どうやら二人がこの六百日の間ほとんど人前で落語をする機会があまりなかったということ、けれども毎日落語の稽古を続けていたらしいということがわかった。
 飢えや寒さに苦しめられ、いつロシア兵に殺されるかわからないという恐怖にさらされながらも、決して落語から目をそらさなかった。
 もう一度寄席で、落語が本当にわかる人たちの前で落語をやりたいという飢えが空腹や教諭に勝っていたんでしょう。
 その“飢え”で二人は何かを悟った。それが二人の芸を変えたのではないかと思うんです。

 そう考えると、この大連での六百日というのは天が落語のためにこの二人を選んで、試練のなかに投げ込んだ日々だったんじゃないか。天もすごいことおをやるなあ。是非それを書きたいと思った。
 生涯ずっと落語で慰められ、楽しませてもらった日本人の一人として、この六百日を芝居にしようと思ったわけですね。

 すばらしい着想と作者の思い。そして、すばらしい文章ですね。