国民主権をないがしろにすればしっぺ返しをくらう

 政権与党も野党も、これほどのひどい選挙もなかったといわざるをえないが、その一方で、今回の選挙の教訓のひとつに、それでも、とにもかくにも、やはり国民が主権者だということを、あらためて知らしめたということであろう。

 その証拠のひとつは、今回の選挙の新党のひとつ「希望の党」に騙されるほどの国民の民度ではなかったということだろう。
 「小池劇場」(テレビ型選挙運動)は想定以上に下手な大根役者による芝居で、さすがに国民は、安倍首相と同様の独裁制専制性の匂いを小池百合子都知事に感じとって、「テレビ型」政治に振り回されなかったということなのだろう。
 安倍首相にせよ、小池都知事にせよ、国民が、独裁政治、専制政治を望んでいないことは、国民の半数が安倍政治の継続を必ずしも望んでいないアンケートから読み取れる。
 では、なぜ政権与党の圧勝なのか。
 それは、一つには、野党第一党の溶解と野党の分裂に期待を裏切られたことが大きいだろう。そして、安倍首相の独裁制専制性の継続は望まないが、せめてなんとか今の暮らしを維持してもらいたいという願いから、自公を消極的に選択せざるをえなかったということではないか。
 バランス感覚も働いて、一方で、立憲民主党への支持だったのではないか。
 その点でいえば、そもそもの民進党の覚悟のなさは、小池劇場に揺さぶりをかけられて、一人ひとりの議員の候補者としての右往左往に表れていた。
 今回の選挙で、もうひとつの新党である立憲民主党の立ち上げは、民進党みずからの自主的な動きではなく、国民の要求から国民に肩を押されての立党だったことはまさに象徴的である。
 ここにも、むしろ国民が主権者であり、国民主権があらためて発揚されたといえないだろうか。
政治は自己目的ではない。国民の安全と幸せを目的とする手段である。

 権力側にとって好ましい野党と市民の共同に対する分断と小選挙区制度のお蔭で、比例の投票をみると33%程度の得票で*1、かろうじて自民党は圧勝した。
 悪天候も自公に味方した。
 結果としては自公の圧勝にみえるが、内実は野党の分裂と小選挙区制度のお蔭であって、冷や冷やものの辛勝というべきものだろう。そんなことはわざわざ解説しなくとも、落選議員、当選議員、とりわけ安倍首相が、骨身にしみてわかっていることだろう。

*1:比例区だけの得票数の投票率は、たとえば自民党は33.3%。立憲民主党は19.9%。共産党は7.9%。社民党が1.7%。