以下、朝日新聞デジタル版(2021/7/22 11:00)から。
近年、日本でブームなのがK文学(韓国文学)だ。相次いで日本語に翻訳され、発行部数が20万部を超えるようなベストセラーも生まれている。翻訳家の古川綾子さんはこれまで、小説や児童書など20冊以上の出版に携わってきた。通訳や、韓国語の講師としても活動し、7月からはNHKラジオのハングル講座も担当している。韓国語とどう出会い、どう学んできたのか、翻訳に取り組む時に大切にしていることは何か、聞いてみた。
ふるかわ・あやこ 翻訳家、通訳、韓国語講師。神田外語大学韓国語学科を卒業後、会社員をへて、ソウルにある延世大学校教育大学院韓国語教育科に進学。韓国語の教員資格を取得した。在学時に、第10回韓国文学翻訳院翻訳新人賞を受賞。現在は神田外大で非常勤講師も務める。訳書に「そっと静かに」(ハン・ガン著、クオン)、「娘について」(キム・ヘジン著、亜紀書房)、「外は夏」(キム・エラン著、同)、「わたしに無害なひと」(チェ・ウニョン著、同)など。7~9月のNHKラジオ「ステップアップハングル講座」を担当。「K文学の散歩道」をテーマに週2回、放送している。
――韓国語を学び始めたのはいつですか。
「大学に入った時に『カナダラ(日本語の『あいうえお』にあたる)から学び始めました。まだ韓流ブームが起こる前で、韓国語に触れる機会が少ない時代でした。今は、K-POPが好きで、推しがいて、韓国語もある程度知っている、という状態で大学に入ってくるような人も多いですけど、当時は大学で一から始める人がほとんどでした。夏休みや春休みに短期留学をはさみながら、4年で卒業しました」
――なぜ、まったく知らなかった韓国語を選んだのですか。
「実は、本が好きだったのでもともとは国文科を目指していて、第1希望ではありませんでした。でも、入試で集団面接を受けた時、私以外の4人が韓国語を学びたい理由をものすごく真剣に語っていたんです。今だったらアイドルが好きだとか文学が好きだとかっていろんな入り口がありますけど、当時はそういう選択肢がなかったですし、それを聞いて、何がそんなに面白いんだろうとすごく興味が出てきちゃったんですよね」
――卒業後は学んだ韓国語をいかせる道に進んだのですか。
「韓国の電機メーカーの日本法人で新卒を募集していたので、応募して正社員として働いていました。最初は日本のメーカーに半導体を売る営業職で入ったんですけど、社内は韓国からの駐在員の人がほとんどで、通訳や翻訳をする人がいなかったんですね。それで私が兼務することになりました。具体的には、商談の通訳や書類の翻訳、プレゼン用の資料作りなどです。社員も日本語はある程度できるんですけど、新商品の説明会や大事な商談といった時には通訳、翻訳が必要だということで。それが、この仕事との出会いでした」
――カナダラから始めて4年で、しかも専門的なトレーニングを受けずに通訳を務めるのは、かなりハードルが高い印象です。
「そうですね。だから働きながら夜に通訳の養成学校にも通い始めました。半導体って金額が半端じゃなくて、高額な商談をこんな学習歴4年の人間が通訳するというのはすごく怖かったです。養成学校ではノート筆記の仕方など、技術的な勉強をさせてもらいました。仕事が終わったあと、週1回、2時間の授業でしたが、求められる高度なレベルと自分の実力との差が大きくて、途中からは2校に増やしました。当時は夜中までの残業も普通で、宿題もあるので、結構忙しかったですね。その時はやりたくてやったというよりは、必要に駆られて仕方なく始めたという感じです」
――会社員生活をへて、フリーランスを志したきっかけは何でしたか。
「そういう生活を続けるうち、自分が主体的に何をしたいのかということを考えるようになりました。そうした中で、もっと体系的にきちんと韓国語を学んで、教える仕事をしたいと思うようになったんです。会社を辞めて韓国の大学院に進学し、韓国語の教育学を専攻しました。そんな時、韓国文学を国外に紹介する政府機関・韓国文学翻訳院が毎年選ぶ『翻訳新人賞』の募集をたまたま見かけたんです。課題作は『アンニョン、エレナ』という作品だったんですが、どんな本なんだろうと思って本屋さんで手に取ってみたら、内容にすごくひかれて。まさか受かるとも思わず、応募してみたら、新人賞に選んでいただけたんです」
「ちょうどそのころが日本に帰国する時期と重なり、韓国文学を通じてSNSでつながっていた出版社の社長に声をかけていただいたんです。東京の出版社で、現在は神保町で韓国書籍専門のブックカフェ『チェッコリ』を運営している会社です。韓国文学を通じて意気投合し、一緒に何かやれることをやっていきましょうという感じで走り出しました。そこから、韓国語を教える仕事をするつもりが、だんだん翻訳が主軸になっていきました」
――それから本格的に翻訳家としての道を歩み始めたんですね。
「そうですね。最初は下訳や共訳から、少しずつチャンスをいただいて。韓国の作家を招くイベントもお手伝いさせてもらいました。裏側から見えるものもあり、とても楽しかったです。3年ほどそうした下積みをして、初めて1人で翻訳を手がけたのは2014年の人文書でした。その年に発生したセウォル号沈没事件に関する『降りられない船-セウォル号沈没事故からみた韓国』(クオン)という本です。その後、翻訳の仕事をメインにしつつ、講師の仕事も少しずつ増えていきました」
――これまでに翻訳した作品はどれくらいですか。
「1人で訳したものは17冊で、共訳も入れると20冊以上になりました。主に文学作品で、コミックや児童書なども一部あります」
――そうして韓国語のプロの道を歩んでこられたわけですが、それだけの語学を身につけたコツは何でしょうか。
「会社員時代に、迷惑をかけないように通訳を務めるために、やりやすい方法をいろいろ試してみてたどりついたのが、(韓国語を聞きながら追いかけるように口に出して発音する)シャドーイングです。活用したのは韓国のニュース番組。インターネットで見られるので、アナウンサーの話す韓国語をまねしながら、同じスピードで一緒に発音していく練習をしました。ニュースを選んだのは、アナウンサーの発音がやはり一番きれいなのと、アナウンサーが話した内容のスクリプトがサイトにアップされるからです」
「まずはスクリプトを見ずに音を聞いて、同じ速さで発音できるようになるまで繰り返す。それができるようになってきたら、意味を考えながら発声し、わからないところがあればスクリプトを見て、辞書で意味を確認するという流れです。その後、今度は韓国語を聞きながら、同時に日本語訳を口に出す練習もしました。同時通訳のようなイメージですね」
――通訳には幅広い語彙(ごい)力も求められますが、語彙を増やすために工夫したことはありますか。
(後略)
(聞き手・大部俊哉)