「英語が第二の国語になるってホント!?」を読んだ

英語が第二の国語になるってホント!?(2000)

 國弘正雄氏による対談。対談相手は、船橋洋一氏、加藤周一氏、グレゴリー・クラーク氏、鈴木孝夫氏、高円宮憲仁親王、千田潤一氏、深見東州氏。

 個人的に一番面白かったのが、グレゴリー・クラーク氏。

英語というのは、学問じゃないんですよ。一つのトリックですよ、技術です。確かに、マスターするために、大人の場合は、すごく苦労しなきゃならない。頭も使わなくちゃならない。けど、もともと大工さんと同じで、一つの技術ですよ。

 氏は、以上のように述べて、さらに「試験科目にすべきではない」「入学試験の英語を勉強すればするほど、英語はだんだんできなくなる。と、信じてます」と持論を述べられている。

 私は語学の先生ではないけど、自分の経験から申上げれば、ディープ・リスニングつまり”深く聞かされる”、そういう経験がなければ、やっぱり言葉を覚えるのは難しいんですよ。言葉はもともと歌と同じなんです。深いところの記憶に入れなきゃならない。小さい頃だったら、耳が強くて感受性が強いから、抵抗なく自動的に記憶に入るんですけど、年取れば取るほど、だんだんと入りにくくなる。

 言葉は、人間の本能的な能力なんです。もともと無意識なんですよ。そういう本能的な無意識のところに入れようと思えば、耳から入れるのが一番なんです。

 と、「ディープ・リスニング」の経験の重要性を強調して、次のように述べる。

 もし、どうしても理解できなければ、その中で活字を見てもいいんです。だけど、根本は「聞く能力」。それなしで言葉を覚えるのは非常に難しいです。頭には入りますけど、すぐに逃げてしまう。言葉は、発音ももちろん大事ですが、イントネーションが一番大事なんです。歌と同じで、これを覚えるのは耳しかないんです。

 さらに

 何よりも大事なのは動機付けなんです。(中略)言葉を勉強しようと思ったら、まず時間がかかる。苦労しなければならない。モティベーションがなければ何もできないんです。

 学んだ結果としてのスピーキングについては、自分の発音でよい。自分の発音で自分のイントネーションでよい。國弘氏であれば、「クニヒロ・イングリッシュ」でよいと、クラーク氏はいう。これも、よくわかるお話だった。

 公用語論では、わたしは船橋洋一氏の見解に反対で、加藤周一氏の話に同感である。

 たとえば、「国中で一つの言葉が話されているにもかかわらず、第二国語を作るっていうのは聞いたことがありません」(加藤周一)と、加藤氏はむしろ日本語と数学の重要性を強調し、さらに英語をすべての国民に必修にすることは止めて、英語を習いたい子どもに対してはどの段階でも習う機会を与えることと、今までのやり方は非能率的だから改善を考える必要があることを強調されている。動機が大切で、しかし、英語学習を誰にも強制しない。さらにカタカナ語の弊害を指摘されているのだが、これも同感だ。

 鈴木孝夫氏と高円宮憲仁親王の意見も面白かったが、今回は省略する。