一日中、米を食べて

オーストラリア米

 ワイカト大学(The University of Waikato)には、カフェがいくつかあるのだが、そのひとつにアジア系のカフェがある。またサンドイッチやベーグル、ケーキが食べられる西洋系のカフェもある。まぁ、アジア系のカフェは、カフェというより学食の雰囲気であるのだけれど。
 アジア系カフェでは、チャーハンか焼きそばを主食にいずれか選び、カレーや、マーボー豆腐、ブロッコリなどの肉野菜炒めや、鶏肉のあんかけ、その他いろいろなトッピングが選べるようになっていて、チャーハンにカレーと鶏肉の組み合わせが、私の好みである。
 前にも書いたけど、西洋人も米を食べるようにはなったのだけれど、相変わらず彼らは「野菜の一種」として食べている。だから、我々のように、米を「主食」として食べているのとは、ちょっと違う。もっとも、最近の若い日本人の中では、「主食」的に米を食べる人は少なくなりつつあるようだけど。
 これも前に書いたのだけど、ニュージーランドのお米は、オーストラリア米が主流らしく、結構おいしい。
 それで、アジア系のカフェで観察していると、やはりアジア系の学生は米を食べていることが少なくない。私の好きなランディ=ニューマン(Randy Newman)の作品の中に「イエローマン」(Yellow Man)*1という唄があって、その中に「一日中、米を食べていて」(Eatin’ rice all day)という一行が登場するのだけれど、アジア系の学生がおかずで白米を食べている姿を見ると、どうしてもこの一行を思い出してしまう。「一日中米を食べていて」(Eatin’ rice all day)というのは、やはりアジア系の特色だろうと思えるからだ。
 イギリス語の世界は、言ってみれば「新世界」(New World)が多い。先住民がいるのに、それを無視して、新世界とはふざけた話だとは思うけど、そうした視点でいえば、アメリカ合州国やオーストラリア、ニュージーランドといった、イギリスからみた「新世界」は、比較的歴史が浅いと言える。それから比べたら、中国や日本の歴史は長い。そうしたアジア、とくに中国が持っている長い、長い歴史性についてランディ=ニューマンはこの唄の中で触れているのだと思うのだけれど、「イエローマン」の中で、「我々がここにいる前から彼らはそこにいたと言っている」(They say they were there before we were here )と、ランディは唄っている。
 この唄の最後のクリンチャー(決めセリフ)は、「あなたが黄色い男性なら、黄色い女性を得ないとね」(Got to have a yellow woman When you're a yellow man )となっているのだが、これはアジア人がアジア人として固まるコミュニティのことを言っているのだろう。コケージアン(白人)はコケージアンで固まっているのが普通だから、逆も同じようなものであるのだけれど。
 アジア人と西洋人の結婚も最近は増えている印象もあるけれど、アジア人のコミュニティと西洋人のコミュニティとが、基本的に違っているのは、確かだ。だから、問題は、アジア人としての自覚を持ち、アジア人の良さを、いかに引きだすかであろう。

*1:Yellow Manは、12 Songsに入っている。