キーウィーの家族は、家族内できちんと話をする

 お隣の玄関をノックするとニックが出てきた。彼とは「アラジン」の観劇のとき以来だ。
 居間にジョー=ウォルシュのLPが置いてあるので、「ジョー=ウォルシュって、この前ニュージーランドに来て、反ドラッグのキャンペーンをしていたばかりですよね」「彼は元イーグルスに参加していたと思うけど」と私が話すと、ニックが「今日家で聞いていたんだ。彼はドラッグの経験があるからね」とニックが言う。牧師でもあり、大学でも教えているニックがジョー=ウォルシュを聞いているとは思わなかった。
 彼が最近ハンナと観たビル=マーレーの「Lost In Translation」という映画の話になった。
 「ビル=マーレーって、アメリカのコメディアンの」と聞くと、そうだという。なんでもこの映画は日本が舞台らしく、ニックは日本に行ったことがないので、間接経験としてリアルで面白かったという。
 ニックの友人で日本に七年間いた友人は、この映画について「関心しないけどね」との話を持ち出したので、「何故」と聞くと、「理由はよくわからないけど」という話だった。
 「日本についての扱い方がフェアなのか自分は判断できない」「あなたなら判断できると思うけど」とニックが言うので、私は「そいつはどうかな」と答えた。というのも、異国にいると妙なナショナリズム的意識がふいと頭をもたげることがあって、片意地を張ってしまうことがよくあるからだ。これでは、フェアな姿勢とはいえない。
 「グラウンドホッグデーのように、終始笑いっぱなしのコメディってわけじゃないけど」とニックが言うので、私も「グラウンドホッグデーのビル=マーレーはおかしいよね」と、なんだかニックと話題が合う。 「グランドホッグデー」は、私の同僚のカナダ人が好きな映画だ。まだ見ていない人は、是非観て欲しい。高尚ではないけれど、これはこれで大いに笑える映画である。
 ニックは基本的に映画よりも本が好きな男だが、ニュージーランドをロケ地にした「指輪物語」は、映画もかなりいいと褒めた。ただ残念ながら「指輪物語」を私は全く見ていない。
 いざ夕食ということになり、家族全員が集合する。ニック、ハンナ、それに長男のジョン(仮名)、長女のキャサリン(仮名)、そしてサブリナだ。当然、牧師のニックがまずお祈りをする。私の名前も入れて、神に感謝の言葉を述べている。
 お祈りが終わって、ニュージーランド式に、料理皿をぐるぐると回しながら、好きな分だけ、自分の皿に取ることになる。
 テーブルの上にはろうそくなんかに火をつけているから、ちょっとした、レストランの雰囲気だ。
 じゃがいも、肉、グリーンピース。にんじんの茹でた奴。これにグレイビーソースやミントのソースをかけて食べる。とてもおいしい。
 ところで、さっきから長男のジョンをどこかで見かけた気がして、どこだったかなと考えていたのだが、「ジョン、君どっかでアルバイトしてない」と聞くと、「アルバイトしているけど」というので、「やっぱり、ニューワールドでしょ」と私が言うと、「そうだ」と言う。「君にレジをしてもらったこと、あるよ。覚えてない」と私が聞くと、ジョンの方は覚えていないようだ。スーパーは客が多いから、無理もないのだけれど。
 食事中に、ニックが「音楽をかけよう」と言ってかけた一枚が、ヴァン=モリソンの「アイリッシュ・ハートビート」だった。サブリナも好きなようで、音楽に合わせて身体を動かしている。
 「これ、アイリッシュだよね」と聞くと、家族全員が「そうだ」というので、私がヴァン=モリソンのアルバムタイトル名の「アイリッシュハートビート」と言ったら、ハンナが「そうよ」と言ってくれた。
 私は娘のおかげで、というのも彼女が言いだしっぺで、アイルランドに行ってみたいと言ったので、アイルランドに2週間ばかり家族全員で旅行をしたことがある。結構アイルランド関係の本も読んだ。だから、アイルランドの話題には事欠かない。
 小説「アンジェラの灰(Angela's Ashes)」の話になったときに、長男のジョンが興味を示したので、なぜかと聞いたら、学校で取組んだことがあるという。私は映画も観たことがあることを彼に話した。
 留学地に当初メルボルンを考えていたのだが、もしメルボルンで勉強できなかったら、冬はとても寒いのだけれど、ゲール語を習いにアイルランドのゴールウェイに行こうと私は考えていた。結局、アイルランドも、同じく学期のせいでダメだったのだけれど。
 アイリッシュは、移民の中でも特に差別的扱いを受けているエスニックグループだけれど、それに負けぬくらいアイリッシュ色を出している民族であるし、飲んだくれているだけという悪評もあるけれど、アイリッシュパブでの彼らの音楽の演奏レベルは、日本人に想像もつかないくらい高い。それに、仮にもしそうだとしても、飲んだくれていてどこが悪いと言えるのだろう。アイルランドを旅してから、特にパブを訪れてからというもの、私はアイルランドの隠れファンなのである。
 それにしてもニックのかける曲といったら、エリッククラプトンの「レイラ」やCCRと、いわば懐メロだ。牧師の家で、私がいつも聴いているような音楽を聞くとは思わなかった。
 ニックの家族はニックのサバティカルの関係でアメリカ合州国アラバマに住んでいたことがあり、幼稚園がどうのこうのと、家族でその思い出話になった。
 子どもたちは、サブリナも、キャサリンも、ジョンも結構喋りたがり屋だ。とくにキャサリンが喋り屋さんで、彼女が無中になって話をしている最中に、静かにニックが「この人の喋り方、早過ぎると思いませんか」と私に言ったので、私は噴出してしまった。
 それで、話は、広島の原爆の話や、世界情勢の話にまで発展する。
 相手が喋っているときは、きちんと聞く。相手が喋っている途中で、話に割り込まない。さえぎられたときは、静かに、「私の話を終わらさせてくれない」と切り返す。こうした会話のやりとりをする際の躾がよくできている。ジョンも普通に会話に参加している。日本だと、なんというのか、男の子は、話をバカにして冷ややかに見ていることが結構あるのだが、この家のジョンは極めて普通である。
 そう、「普通」というコトバがぴったりだ。ニュージーランドの家族の団欒は、内容のある話が普通に続く。彼らのクラスには移民の子どももいるし、とくにハンナがラングエッジインスティチュートでイギリス語を教えているということもあるだろう。それに、ニックが牧師であるということもあるだろう。いずれにせよ、家庭の食事の最中に、世界情勢が普通に語られるということに私は感銘を受けた。
 日本料理の話になって、「実は明日と、また別の日に、寿司パーティをやる予定なんだ」と私が言うと、子どもたちが、眼を輝かせて「寿司は好きなんだけど」というので、「お世辞じゃなくて、もしそれが本気なら、今度家族全員を招待するけど」と私が言って、彼らを招待して寿司パーティを開くことになった。
 ニックが写真機を出してきて写真を撮ろうと言う。外国人の私も少しはめずらしいのか、写真を撮ろうとするニュージーランド人を見るのは初めてだ。セルフタイマーなので、写真を撮る際に、「お猿のパンツ」と私が言ったら、みんな噴出して笑ってくれた。
 この家の会話はとても楽しい。
 食事が終わって、ニックが「デザートを食べたい人」と静かに聞いて、確認してから、デザートが出てくる。「コーヒーか、紅茶を飲みたい人」と、ニックが静かに確認してから、飲み物が出される。
 「我が家は、二人とも食事をつくる。今日は彼女がつくっているので、私があなたと話ができる。もし私がつくっていたら、彼女があたなと話が出来るというだけのことです」と食事前にニックが言っていたが、こうした考え方が、この家のやり方らしい。
 食事が終わって、「洗い物をしましょうか」と私が申し出ると、「食器洗い機にやってもらうから、今日は大丈夫。申し出てくれてありがとう」とハンナに言われた。
 休日のこと、労働休暇のこと、オークランド市長選のこと、都市生活のこと、自然環境のこと、森林伐採の話、コーパス言語学のこと、日本の教育のこと、中国のことなど、他の家族が洗い物をしている最中にハンナと話したけれど、とても理屈の通った話だったし、私の論点もよく理解してもらえたように思う。
 ハンナと私が休暇のことを話題にして話していると、洗い物を終えたジョンが話に加わった。
 私はジョンに向かって、「ニューワールドの経営者が誰かは知らないけれど、日曜日は、ボスは働いていないでしょ。誰かが、そのボスのために代わりに働いているわけね。休日用のアルバイトを雇っているんだと思うけれど。客にとってみれば、店が開いていることはたしかに便利だし、経営者にとってもお金儲けになる。日本は大変便利な国だけど、その便利さの裏で、その便利さを支えるために、自分のことを犠牲にしている人たちがいることを忘れることはできないよね。そうした人たちは、あなたたちのように、家族と一緒に夕食を共にすることができないのです。だから、日曜日も店を開けて、便利だ、金儲けだと考えるのは、何かを犠牲にしていることを忘れてはいけないと思うのだけど」と、私は言った。ハンナは私の意見に賛成のようだった。
 ジュディも言っていたけれど、ニックはとても忙しい人だという。ニック自身も、「この家は大変忙しい家で」と言っていたけれど、私から言わせれば、家族全員で食事ができる程度の「大変な」忙しさだ。けっして奴隷のように働いているわけではない。
 ハンナも言っていたけれど、自分の仕事に誇りは持っているけれど、家庭生活はきちんと線引きして、確保するということなのだろう。
 さて、もう夜の10時だ。帰り際に、玄関口でハンナが「この前は差し出がましいことをしてごめんなさい」と言うので、「どうして私が寝過ごしたとわかったの。ブラインドが降りていたから」と聞くと、そうだと言う。これは、ご近所の気配りということで「普通」のことだそうだ。ご近所には、気の合う人、そうでない人、いろいろだろうけれど、ニュージーランドの近所づきあいは「普通に」悪くない。