イギリスの法律が急激に影響力を持ち始めたのは、南島である。
南島の大部分の土地は、ンガイ タフ(Ngai Tahu)が所有していたのだが、1830年代のンガティ トア(Ngati Toa)の侵略でかなりの打撃を受けていた。
そして、ンガイ タフは、1844年から1857年にかけて、いい加減な取引で、その土地の大半を売ってしまった。ダニーデン*1(Dunedin)やクライストチャーチ*2(Christchurch)は、それぞれ1848年、1850年にその基礎が築かれた。
より多くのパケハが来ることを望み、そしてさらに、もし自分たちが売らなければンガティ トアが売ってしまうだろうと考えて、ンガイ タフはパケハに土地を売ったのだった。しかし、マオリとパケハの間には、土地売買の考え方について、食い違いもあった。
1860年代に金が発見されてからは、これらの町は急激に成長し発展した*3。