25年間にわたる読解力と文法力の学力低下と文科省の責任

学力の比較研究は、カリキュラムの差異、生徒の生活環境の差異、学校の実態の差異など、さまざまな条件と要因があるから、実は簡単ではない。そもそも「学力とは何か」という根本的な定義自体が困難を極めるし、「何を学力として評価するか」は、すぐれて価値観に関わるから、学力低下の指摘を、データでおさえるとなると結構大変だ。
私は、ある私立大学の附属高校で、2年間の海外研修を除けば、25年間英語を教えてきた。この経験から、印象的にものを言わせてもらえるならば、生徒のリスニングの力は伸びているけれど、読解力・文法力のいずれもが低下しているように思う。
これは私の勤める学校だけの傾向かといえば、学力論の一般的な報告に眼を通してみても、リスニングの力は伸びているが、読解力・文法力のいずれも低下していると言われているから、おそらく、一般的な傾向であろう。自慢話のように聞こえるかもしれないが、相対的な比較論でいったら、私の勤める学校の学力は低くはない。
ただし、個別の学校の話ではなく、日本全体の学力を25年間という時間軸ではかるとする。また、こちらがより重要なのだが、度重なる学習指導要領の変遷で、学力を考えるとすると、生徒のリスニング力の伸びに対して、読解力・文法力の低下は否めないだろう。
それは何故かといえば、私が高校生の頃は、リスニングなんて授業で指導されることもなく、徹底した精読と徹底した文法教育をやっていたからだ。また、中高の授業時間数も今よりも多かった。つまり、精読と文法にかける質も量も、今よりも格段にレベルが高かったのだ。
これは、今使われている英語の教科書と、私が高校生の頃に使っていた英語の教科書*1を比較してみれば、明瞭だ。読解の教科書にしても、文法の教科書にしても、格段にレベルが高い。
つまり、第一に指摘しなければならない点は、読解力や文法力の学力低下は生徒のせいではないということだ。読解力や文法力の低下を言いたいのであれば、まずなによりも学習指導要領の責任を問わなければならない。

*1:三省堂のCrown、文法は開拓社の教科書だった。