小田実さんが亡くなる

 小田実氏が亡くなったと新聞が報じている。
 私は小田さんの著作、とくに氏の書かれた小説は全く読んでいない。氏の「ベ平連」の活動も知らない。
 ただ、リアルタイムではないけれど、小田実氏の「何でも見てやろう」は読んだことがあるし、また、氏の英語教育論関連のエッセイなどは関心をもって読んだことがある。
 前にも紹介した「小田実の英語50歩100歩―自まえの英語をどうつくるか (河合ブックレット)」などは、すこぶる面白いと思ったことがある。
 なぜかといえば、氏の豊富な海外体験と、それに裏打ちされた氏の英語体験を通じて、自分の頭で考えた英語教育論になっているからだ。この本は、共鳴できる点が少なくない。
 そうした意味で、英語教育論に対する氏の貢献はけっして小さくはないと思っている。

<訃報>反戦運動の旗手、作家の小田実さん死去
7月30日4時25分配信 毎日新聞


 元「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)代表で、ベトナム反戦運動など市民運動の先頭に立った行動派の作家、小田実(まこと)さんが30日午前2時5分、胃がんのため東京都内の病院で死去した。75歳。
 大阪市生まれ。東大卒業後にフルブライト留学生として渡米。南米や欧州、アジアなどを回った旅行記「何でも見てやろう」(1961年)はベストセラーとなった。
 65年には米軍の北ベトナム(当時)爆撃に反対する哲学者の鶴見俊輔さんらと反戦運動を開始。ベ平連を結成し、代表になった。大規模なデモやワシントン・ポストなど米紙へ意見広告を掲載して注目を集めた。ベ平連は米軍が撤退した後の74年に解散。その後も湾岸戦争の際には同様の意見広告を出すなど、一貫して反戦の立場を貫いた。
 95年1月の阪神大震災は西宮市の自宅で遭遇。恒久的な公的支援の法制度を作るために奔走し、98年の「被災者生活再建支援法」成立の原動力にもなった。

 英語教育界に対する小田実氏の貢献のひとつは、英語モデルの提示である。
 英語とエスペラントを合成させた氏の造語「イングラント」という概念を提示したことは重要だ。なぜかといえば、英語教育においては、どのような英語モデルを目指しているのか、その目標を提示することなく教育実践をしていることが少なくないからだ。
 この英語モデルとも多少重なるが、そのイングラントを書いたり話したりする際には、まずもって人格的な中身がなければならないということを明言されたことだ。何のために英語を学ぶのか、氏の体験に裏打ちされた姿勢は明確であり、だからこそ、語彙習得においても、Koreaや貧困、搾取などの語彙を知らずして世界の青年たちと話ができるのかと、どこかで書かれていたように思う。
 受験英語とは遠いところに位置する英語観、英語教育観だと言わなくてはならないのに、受験教育について述べたり、実際に大手予備校で教壇に立たれたことも、徹底して自分の頭で考えることが重要であることを主張し実践されていたように思う。
 本来実践的であるべき英語教育において、この実践的であるということはきわめて重要だ。