恨み・恨まれる社会、殺し・殺される社会を変えて、すべての人にとって安全・安心な社会を

 参院選当日だから投票に行きましょう、というような選挙の記事を書こうと思っていた。しかし、そんな気持ちになれない。

 これが学校内のとんでもない事故であれば、事故を起こした生徒を調査するとき、「どうしてそんなことをしたんだ」と、問いかける。被害・加害の関係があれば、被害者にたいして、「相手はこういう気持ちで行動したらしいが、どう思う」と問いかける。最近は学内も物騒だから、気持ちと行動ということでいえば、凶器や武器を排除することが安全な環境づくりの第一歩だ。そして、すべての生徒が落ち着いて学校生活を過せるようにすることだ。抑圧されたり、ストレスを抱えたり、恨み・恨まれるような気持ちがあれば取り除いて、暴力で解決するような指向性をなくすために、学校として教育力を発揮し、安全・安心な教育環境をつくりあげることである。

 これは、国内でも、国際関係でも、社会全般に通じることだと思う。

 さて、安倍元首相殺害事件。

 この事件は、どのように表現したら、より正確な表現になるのだろうか。

 調査はまさにこれからだから、この事件の認識とその表現語句は、時間的経過とともに今後訂正し続けていくのだろう *1

 ひとつ疑問をあげるとすれば、安倍元首相殺害は政治テロなのか。政治テロだとすれば、政治テロは許さない、政治テロに屈するな、民主主義に対する蛮行を許すなと声をあげることに異論はない。しかし、そうだろうか。

 少しだけ関連語句を調べてみた。

 「暴力行為あるいはその脅威によって、敵対者を威嚇 すること。恐怖政治。テロ」のことを「テロル」*2という。

 「政治的目的を達成するために、暗殺・暴行・粛清・破壊活動など直接的な暴力やその脅威に訴える主義。テロ」を「テロリズム」という。

 「主に政治上の立場や思想の相違などから、ひそかに要人をねらって殺すこと」を「暗殺」という*3

 「あらかじめ計画して人を殺すこと」を「謀殺」という。

 以上からすると、「謀殺」とはいえるが、はたして「暗殺」や「テロ」といえるのか、今後の報道を見守り、慎重に表現しなければならないと考える。

 現段階までの事情聴取で報道されている容疑者の動機は、これはもちろん容疑者からみた「認識」に過ぎないが、「母親が信者で、多額の寄付をして破産し、絶対成敗しないといけないと恨んでいた。安倍氏が団体とつながりがあると思って狙った」と、某「宗教団体」によって母親が利用され、自己破産に至り、家庭が崩壊したことから某「宗教団体」に対する恨みをもったということだ。これも当然の帰結だが、「団体のトップを殺害しようと考えたが、接触が難しかった」と、本来は某「宗教団体」トップをねらいたかったとのことだが、その防衛体制からそれは不可能と考え、某「宗教団体」と関係していると考えた安倍元首相をねらったものとされている。大ざっぱではあるが、容疑者は、以上を冷静に述べているようだ。

 そもそも、「(安倍氏の)政治信条に対する恨みではない」と、容疑者本人が動機は政治ではないと述べているようだが、以上が要旨として間違いなければ、これは安倍晋三という政治家の政治信条にたいするものとはいえまい。いまさまざまな勝手な推測から、「政治テロに屈せず」「民主主義に向けられたテロに屈せず」と強調する論調があるが、文脈が違っている、ずれていると言わざるをえない。そもそも、容疑者本人が政治信条に対する恨みではないと言っているのだ。

 たしかに参議院選直前であり、街頭での選挙演説中の殺害事件であるので、政治テロではないかと推測しやすいが、これは政治的意図を背景にしたものというより、容疑者みずからの殺害目標に接近できる環境を利用しただけというのがより正確なのだろう。某「宗教団体」のトップに接近できたのであれば、そちらを狙ったというのが普通の考え方だからだ。

 そもそも某「宗教団体」と書いてきたが、容疑者が某「宗教団体」の名前を隠しているわけではないから、なぜメディアはこれを報道しないのだろうか。実に不思議だ。日本のメディアは何に忖度しているのだろうか。

 さらにいえば、容疑者は、安倍晋三と某「宗教団体」との間につながりがあると認識しているが、そもそも安倍晋三と某「宗教団体」とは、明確なつながりがあるのか。それとも容疑者の想像に過ぎないのか。「団体は海外が発祥で、インターネット上には、この団体の代表らが設立した民間活動団体(NGO)の集会で安倍氏のビデオメッセージが流れる動画が投稿されている。山上容疑者は「メッセージを送っている動画を見て、つながりがあると思った」と説明し、「(安倍氏の)政治信条に対する恨みではない」とも話しているという」(読売新聞)程度の報道はあるが、この詳細を報じないのが実に不思議だ。

 脆弱な政党や腐敗した政治家は、集金・集票マシーンといわれる「宗教団体」の誘惑にあらがうことがいかに難しいか、想像に難くない。政治に不当な支配をもちこまないために、政教分離についてもあらためて考える必要があるだろう。

 世界の主要メディアでは、まだ少数の各紙に過ぎないが日本の取材をとおして某「宗教団体」について報道し始めている*4が、日本国内では主要各紙は「宗教団体」の名称についてはいまだ報道していないし、世界の各紙もこれからの報道になるのだろう。たとえば雑誌タイム(Time magazine)が、安倍元首相についてカバーストーリーにするという。タイム誌がどれほど深堀りするかは不明だが、おそらく、日本メディアが抱えている忖度とは関係のない、こうした世界各紙の報道から、外堀が埋められ、日本国内でも報道せざるをえなくなっていくに違いない*5*6

 いわゆる安倍・菅政権の新自由主義的政治のもとで、社会保障より自己責任が強調され、経済・社会格差が広がり、いじめやDVなど、日本社会が殺伐としてきたと指摘されている。その意味では、容疑者も犠牲者のひとりと言えるかもしれない。ところで、恨みや怨念を抑えたり少なくしていくのが人の道(倫理)であり、社会的教育力であり、社会保障による安全網をしっかりとつくっていって、人の恨みや不幸感を少なくしていくというのが、政治に期待されるちからではないか。けれども、ひとりの人間をも切り捨てない政治を期待できない政治家の代表格が「こんな人たちに皆さん、私たちは負けるわけにはいかない」と叫んだ安倍晋三であったのではないか。国民を分断するのではなく、恨み・恨まれ、殺し・殺される殺伐とした社会環境を改善し、安全・安心な社会をつくっていかなければならない。

 そのためにはタブーも忖度もない、今回の事件の徹底した分析が必要だ。

 今後さまざまな視点から忖度のない調査・報道がすすんでいくならば、容疑者本人が「(安倍氏の)政治信条に対する恨みではない」と言っているようだが、皮肉なことに、国内のみならず、国際的にも、大きな政治的な事件となっていく予感がしてならない。

*1:それにしても、素人眼でみても、選挙演説の場所・環境の選択としての不適切さは否めない。警備体制自身が認めた警備体制の不備の問題もあり、単独犯行なのか複数反抗なのかも、今後の慎重な捜査を待たなければならないだろう。

*2:ドイツ語で「恐怖」の意。

*3:「暗殺」を意味する英語の"assassination"も、"the murder of someone famous or important"(Cambridge Dictionary)というように「理由」に言及しない定義もあるが、 "murder by sudden or secret attack often for political reasons : the act or an instance of assassinating someone (such as a prominent political leader)"(Merriam-Webster)と理由に言及する定義も少なくない。

*4:たとえばカナダのグローブアンドメールNew details emerge about the man who assassinated former Japanese prime minister Shinzo Abe - The Globe and Mail

*5:安倍・菅政権のもとで、日本のメディアの権力をチェックするジャーナリズムとしての水準は落ち込んでしまった。

*6:国際NGO「国境なき記者団」の2019年 報道の自由度ランキング では、日本のランキングは180カ国・地域中67位。