【平和宣言全文】核兵器の使用は「今ここにある危機」 長崎市長訴え (msn.com)
以下、朝日新聞から。
長崎に米軍の原爆が投下されてから77年となった9日、爆心地近くにある長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれた。長崎市の田上富久市長が平和宣言を読み上げた。ウクライナに侵攻したロシアが「核の脅し」をしていることを念頭に、「核兵器の使用は『杞憂(きゆう)』ではなく『今ここにある危機』である」と懸念を示した。その上で、「核兵器を持っていても使われないだろうというのは幻想。核兵器をなくすことが、未来を守るための唯一の現実的な道だ」と訴えた。
また、2021年1月に発効した、核兵器を全面的に禁止する核兵器禁止条約への署名・批准を日本政府に迫った。
■長崎市長平和宣言(全文)
核兵器廃絶を目指す原水爆禁止世界大会が初めて長崎で開かれたのは1956年。このまちに15万人もの死傷者を出した原子爆弾の投下から11年後のことです。
被爆者の渡辺千恵子さんが会場に入ると、カメラマンたちが一斉にフラッシュを焚(た)きました。学徒動員先の工場で16歳の時に被爆し、崩れ落ちた鉄骨の下敷きになって以来、下半身不随の渡辺さんがお母さんに抱きかかえられて入ってきたからです。すると、会場から「写真に撮るのはやめろ!」「見世物(みせもの)じゃないぞ!」という声が発せられ、その場は騒然となりました。
その後、演壇に上がった渡辺さんは、澄んだ声でこう言いました。
「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。そして、二度と私をつくらないでください」
核保有国のリーダーの皆さん。この言葉に込められた魂の叫びが聴こえますか。「どんなことがあっても、核兵器を使ってはならない!」と全身全霊で訴える叫びが。
今年1月、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有5カ国首脳は「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」という共同声明を世界に発信しました。しかし、その翌月にはロシアがウクライナに侵攻。核兵器による威嚇を行い、世界に戦慄(せんりつ)を走らせました。
この出来事は、核兵器の使用が“杞憂(きゆう)”ではなく“今ここにある危機”であることを世界に示しました。世界に核兵器がある限り、人間の誤った判断や、機械の誤作動、テロ行為などによって核兵器が使われてしまうリスクに、私たち人類は常に直面しているという現実を突き付けたのです。
核兵器によって国を守ろうという考え方の下で、核兵器に依存する国が増え、世界はますます危険になっています。持っていても使われることはないだろうというのは、幻想であり期待に過ぎません。「存在する限りは使われる」。核兵器をなくすことが、地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道だということを、今こそ私たちは認識しなければなりません。
今年、核兵器をなくすための2つの重要な会議が続きます。
6月にウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、条約に反対の立場のオブザーバー国も含めた率直で冷静な議論が行われ、核兵器のない世界実現への強い意志を示すウィーン宣言と具体的な行動計画が採択されました。また、核兵器禁止条約と核不拡散条約(NPT)は互いに補完するものと明確に再確認されました。
そして今、ニューヨークの国連本部では、NPT再検討会議が開かれています。この50年余り、NPTは、核兵器を持つ国が増えることを防ぎ、核軍縮を進める条約として、大きな期待と役割を担ってきました。しかし条約や会議で決めたことが実行されず、NPT体制そのものへの信頼が大きく揺らいでいます。
核保有国はこの条約によって特別な責任を負っています。ウクライナを巡る対立を乗り越えて、NPTの中で約束してきたことを再確認し、核軍縮の具体的プロセスを示すことを求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
「戦争をしない」と決意した憲法を持つ国として、国際社会の中で、平時からの平和外交を展開するリーダーシップを発揮してください。
非核三原則を持つ国として、「核共有」など核への依存を強める方向ではなく、「北東アジア非核兵器地帯」構想のように核に頼らない方向へ進む議論をこそ、先導してください。
そして唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に署名、批准し、核兵器のない世界を実現する推進力となることを求めます。
世界の皆さん。戦争の現実がテレビやソーシャルメディアを通じて、毎日、目に耳に入ってきます。戦火の下で、多くの人の日常が、いのちが奪われています。広島で、長崎で原子爆弾が使われたのも、戦争があったからでした。戦争はいつも私たち市民社会に暮らす人間を苦しめます。だからこそ、私たち自らが「戦争はダメだ」と声を上げることが大事です。
私たちの市民社会は、戦争の温床にも、平和の礎にもなり得ます。不信感を広め、恐怖心をあおり、暴力で解決しようとする“戦争の文化”ではなく、信頼を広め、他者を尊重し、話し合いで解決しようとする“平和の文化”を、市民社会の中にたゆむことなく根づかせていきましょう。高校生平和大使たちの合言葉「微力だけど無力じゃない」を、平和を求める私たち一人ひとりの合言葉にしていきましょう。
長崎は、若い世代とも力を合わせて、“平和の文化”を育む活動に挑戦していきます。
被爆者の平均年齢は84歳を超えました。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と被爆体験者の救済を急ぐよう求めます。
原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。
長崎は広島、沖縄、そして放射能の被害を受けた福島とつながり、平和を築く力になろうとする世界の人々との連帯を広げながら、「長崎を最後の被爆地に」の思いのもと、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。
2022年(令和4年)8月9日
長崎市長 田上富久
【あいさつ全文】岸田首相「長崎を最後の被爆地に」 NPT参加強調(朝日新聞) - goo ニュース
岸田文雄首相は、広島でのスピーチと同様、長崎でも、核兵器禁止条約(TPNW)には全く触れなかった。これで、岸田首相の「核兵器のない世界」「核兵器使用の惨禍を繰り返してはならない」というコトバを信じることができるだろうか。広島出身の首相と宣伝しているが、整合性がとれず、全く説得力がないと言わざるをえない。
【あいさつ全文】岸田首相「長崎を最後の被爆地に」 NPT参加強調 (朝日新聞)
長崎に米軍の原爆が投下されてから77年となった9日、爆心地近くにある長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれ、岸田文雄首相は「77年前のあの日の惨禍を決して繰り返してはならない。これは、唯一の戦争被爆国である我が国の責務」と述べた。
現在、米・ニューヨークで開かれている核不拡散条約(NPT)再検討会議に、日本の首相として初めて参加したことにも触れ、「長崎を最後の被爆地とし続けなければならない」と訴えた。広島の平和記念式典と同様、核兵器禁止条約には触れなかった。
■岸田首相のあいさつ(全文)
77年前の今日、一発の原子爆弾が長崎の街を一瞬にして破壊し尽くし、7万ともいわれる人々の命を、未来を、そして人生を奪いました。全てが焼き尽くされ、街でも、川でも、数限りない人々が斃(たお)れました。惨状の中でなんとか一命をとりとめた方々も長く健康被害に苦しまれてきました。内閣総理大臣として、ここに犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げますとともに、今なお、後遺症に苦しむ方々に対し、心からのお見舞いを申し上げます。
77年前のあの日の惨禍を決して繰り返してはならない。これは、唯一の戦争被爆国である我が国の責務であり、総理大臣としての私の誓いです。核兵器による威嚇が行われ、核兵器の使用すらも現実の問題として顕在化し、「核兵器のない世界」への機運が後退していると言われている今こそ、私は、「核兵器使用の惨禍を繰り返してはならない」と訴え続けてまいります。
我が国は、いかに細く、険しく、難しかろうとも、「核兵器のない世界」への道のりを歩んでまいります。このため、非核三原則を堅持しつつ、「厳しい安全保障環境」という「現実」を、「核兵器のない世界」という「理想」に結びつける努力を行ってまいります。
そうした歩みの基礎となるのは核兵器不拡散条約(NPT)です。その運用検討会議がまさに今、ニューヨークで行われています。私は、先日、日本の総理大臣として初めてこの会議に参加し、50年余りにわたり世界の平和と安全を支えてきたNPTを国際社会が結束して維持・強化していくべきである旨訴えてまいりました。
厳しい安全保障環境の中にあっても、核不使用の歴史を継続し、長崎を最後の被爆地とし続けなければなりません。透明性の確保、核兵器の削減の継続、核不拡散も変わらず重要な取り組みです。
また、「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍を語り伝え、記憶を継承する取り組みです。我が国は、被爆者の方々を始め、「核兵器のない世界」を願う多くの方々と共に、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
被爆者の方々には、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。
結びに、市民の皆様のたゆみない御努力により、「国際文化都市」として見事に発展を遂げられた、ここ長崎市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めてお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶(あいさつ)といたします。