95ドルのはずだ、このコピーは間違いだと、鼻のでかい背の高いもみあげの男に言うと、へらへら笑って平然としている。
クレジットカードの額をきちんと確認しなかった自分が悪いのだが、こんなことが許されるのか、許されていいはずがないと思って、知らないうちに生まれて初めてイギリス語で喧嘩を始めていた。相棒も応戦する。彼女は、こうしたことには私以上に許せないたちだから当然だ。
我々の主張は、コピーを95ドルに直させるか、チェックのコピーをキャンセルさせるかの2つに1つであるが、まずいことに、そのイタリア系アメリカ人たちは商売上たまたま間違いをしたのではなく汚い商売を意図的にやっているということと、私がサインしたチェックがすでに彼らの手に渡ってしまっていることだった。
チェックを返せ、このSANYOのテレビは日本製だ、俺は日本人だ、テレビの値段の相場は知っている、汚い商売は止めろ、95ドルに書き換えろというようなことを私が言うと、鼻のでかいもみあげの男は、テレビの値段にアンテナ代、税金がつく、テレビの値段にアンテナVHF、UHFが高い、また税金が高いと言う。冗談じゃない。チェックのtaxの欄だって何も書いていないのだ。95ドルでなければテレビはいらない、チェックを返せと私は全身で言っていた。喧嘩自体は真剣であるが、外国語での喧嘩だから表現力と技術がついていかない。喧嘩をしながら、こいつらはイタリア系移民だなと思った。いわゆるWASPのイギリス系ではない。汚い商売だが、彼らはイタリア訛りのあるイギリス語で、ここで商売をしている。それに比べれば、俺は勉強のための勉強として、イギリス語を勉強してきた甘ちゃんだ。自分がこんな風にサバイバルイングリッシュを喋ることになるとは夢にも思っていなかった。こんな汚い商売が許されるはずがないという興奮した気持ちだけ私を支えていた。それはイギリス語の技術云々ではなかった。イギリス語が私以上に上手でない相棒も、その点では私以上に迫力があった。もみあげの男が、耳を押さえながら、彼女に大声を出させるなと私にヒステリックに言う。「あんた、95ドルって言ったでしょ(“You said ninety five!”)」と相棒が言っても初めは知らぬ存ぜぬであったが、先ほどとは違って明らかに、まいったという気持ちが顔に出ていた。
10分くらい、その店で大騒ぎをしながらやりあっただろうか。もみあげ野郎が、レジから現金で20ドル札を突然出して、20ドル返すから、これでいいだろうと言う。そんなものはいらない、95ドルに書き換えるか、チェックを返すかだと言って、また口喧嘩が始まる。大騒ぎでやり合っていると、また10ドル札を出してきて、全部で30ドル返すからこれでいいだろうと申し出る。そんなものは認められないと、こちらはNoの連発である。95ドルに書き換えるか、チェックを返すかのどちらかだと繰り返すと、本当の値段は199ドルだと言う。それなら何故30ドル返すのかと言うと、俺はgentlemanでhuman-beingだと言った。まさにこれはjokeである。こいつらを表現する語彙としては最も似つかわしくないのに、こんな使われ方が世の中にあるのかと思った。お前はサインしたではないか、同意したではないかというような論理であれば、まだロジックがある。しかし、そのイタリア系アメリカ人たちは、ずるく、汚く、論理はめちゃくちゃであった。ともかく、gentlemanとhuman-beingには呆れてしまったが、こちらは断固Noと叫び続ける。30ドルなどいらぬ、95ドルか、チェックを返すかだと言うと、もみあげの男、そうかわかった、もういいと言うように、急にキャッシュを引っ込めた。私が絶対に警察に訴えるからと言うと、勝手にしろという。警察の連中が信用するものかとも言う。一瞬、沈黙が支配した。警察にうまく説明できるか、理解してもらえるか不安になるが、連中が30ドル引っ込めて、こちらは訴える、勝手にしろというところですでに交渉決裂である。ひとまず帰るしかない。テレビを持っていくべきか否か迷ったが、置いていっても事態が好転するとも思えなかったので、テレビは持ち帰ることにした。
「俺は旅行者じゃない、この近くのコンドミニアムに住んでいるもので、UC Berkeleyの学生である、法律に詳しい学生の友人もいる。絶対に警察に訴えてやる」と捨て台詞を残した。パートナーも気丈で、若い男を指で指しながら、"You said ninety five."とえらい剣幕だ。