留学などかっこいいものではない

re・ac・tor

 留学などかっこいいものではない。
 むしろ、可笑しく、ペーソスあふれる、面白いものである。
 想像してみてほしい。外国人が日本に来て、「少し、すみません」とか、「私、よく食べます」とか喋り、またくそ真面目に、「こんちくしょう」とか、「くそったれ」とか、「一体全体」といった言葉を学習し、完全に理解できずとも、日本の新聞を読んだり、テレビ・映画を観たり…。それも100本以上も…観ている。
人はその外国人を何と言うだろうか。
 サンフランシスコ大学の日本語の授業*1など、「東京(Tokyo)」、「お早ようございます(Ohayou gozaimasu)」とやっていた。大学レベルで、小学生の初級程度である。これはけっしてかっこいいなどというものではなく、可笑しい(funny)ものだ。しかし、面白い(interesting)ものではある。少し力量がつけば、自らの文化を批判的に、突き放した態度で、冷静に見つめられるようになる。ちょうど、自分のことは他人を通じて初めて理解できるように、自己認識は他者認識を通じて進むものだ。
 けれども、人によっては、これは苦しいものになる。自分の小さなお城に安住していたものが、否応なく自分を見つめるようになるからだ。完璧にマスターできないうちは、イラつくことにもなる。人の性格にもよるが、これは苦痛を伴う。自分は自分だと観念的に勝手に思っていたものが、人からの借り物が多かったことに、初めて外に行って気づく。自分は何者か。自分は今まで何をしていたのかと、初めて悩む。悩みを初めて知るのだ。これは、自我の目覚め、思春期のようなものだ。北杜生の「青春記」のように、これは気恥ずかしさを伴う。けっしてかっこいいものではない。

*1:こちらの日本語の授業はfield tripで見学したことがある。