今夏の酷暑日・猛暑日には耐えがたいものがありました。地球温暖化の問題は待ったなしの課題であるのに日本政府は無関心を決め込んでいてまるで危機感のないことに危機感を覚えます。
昨日、Hibakusha の声を世界に発信し続けてきた日本被団協がノーベル平和賞を受賞するという素晴らしいニュースが飛び込んできました(日本被団協が2024年ノーベル平和賞を受賞! ーその授与(受賞)決定理由の文章がすばらしいー - amamuの日記 (hatenablog.com))。50年前の佐藤首相のノーベル平和賞受賞はインチキでした*1が、ホンモノを評価することもときにはあるのですね。さすがに現反動政権ですら受賞に異を唱えることはできませんでしたが、自公政権がこれ以上核兵器禁止条約に背を向け続けることはもはや許されません。
さて、裏金隠し解散となり、いよいよ衆議院選挙です。
新自由主義を推し進め「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域」と答えた小泉首相もひどかったが、モリ・カケ・サクラで「私や妻が関係していたということになれば、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」と開き直り、統一教会ズブズブの第二次安倍政権から、「総合的・俯瞰的」と壊れたレコードのようにくり返して日本学術会議任命拒否を続けた菅首相、そして初めから「聞く力」も国民のための青いノートもなかった大軍拡の岸田首相と、まことにひどい政権が続きました。そして、統一協会と裏金問題が日本の民主主義を揺るがす大政治問題となっています。
その間、労働環境を悪化させ、国民の暮らしはないがしろ。この半世紀、政治が何かいいことをしてくれたことがあったでしょうか。
能登などの災害にも全く無関心。
日本はすばらしいと自画自賛番組ばかりをテレビで流し、ボーッとしていたら、実は世界で日本が何周もの周回遅れであることが判明しました。
アベノミクスが約束したトリクルダウンはついに国民にしたたり落ちることはありませんでした。
紙の健康保険証で全く問題ないのに利権がらみでマイナカードの強制。河野太郎のひどさが明らかになったことくらいが良いことでした。
自公政治とその補完勢力による政治は、国民のことなんかこれっぽっちも考えていない。国民をだますことしか考えていない。
こうした悪政により、国民と日本語とコトバは愚弄され続け、嘘が常態化する社会となりました。
勝てば正義なりと、公明党・創価学会との選挙協力はすでに四半世紀もの間続き、さらに選挙に勝つためには毒を食らわば皿までと、統一協会や日本会議など反日カルトを集票マシンと当てにする議員ばかりが増えました。世襲議員(特権階層)でなければ、ネトウヨの受け狙いを考える議員によって劣化はさらに促進され、今だけ・金だけ・自分だけという腐敗政治が跋扈しております。
日本中シャッター通りが進行する中、ギャンブルと防衛産業が成長分野と、教育費・社会保障費・公共事業費は削られ、教育予算はOECD36か国中下から3番目。
兵器爆買いで軍事費は文教関係費の2倍となり、教育立国に背を向けて軍事大国化。そうして学校現場は疲労し閉塞し教職員未配置が深刻化しています。
戦前の内閣が用いた「鬼畜米英」というプロパガンダ。戦後はうって変わってアメリカには無批判で、日米同盟と聞けば、とたんに腰が抜け思考停止に陥る主体性のなさ。
思考停止状態で無批判にアメリカをありがたがる拝外主義。民族差別をあおりヘイトをあおる排外主義。これら二つのハイガイ主義が横行しています。
軍事ブロック化・核抑止力論はいつか来た危険な道であり、こちらのほうがむしろ「お花畑」の考え方ではありませんか。集団的自衛権の行使容認を盛り込んだ安全保障法制については、憲法の平和主義の原則に立ち帰って考えていく必要があります。非同盟中立、他国・他民族との連帯こそが生き残ることを可能にしてくれる道に他なりません。
政権与党やその補完勢力が、テレビ・新聞・メディア・マスコミを支配し、学者・知識人を御用文化人に仕立て上げ、ネット世論操作を活用して、国民から批判的思考を奪おうとするとき、わたしたちの主体性を守るためには、社会問題に関心を失うことなく、近代的・進歩的政党と、真のジャーナリズム、学校らしい学校教育・高等機関教育、市民間の対話と討論。そして学習と教育がどうしても必要です。
さて、石破新政権が誕生しましたが、所信表明演説の「ルールを守る」は噴飯もので、「国民を守る」「日本を守る」に説得力を感じることは困難です。
これは政治の話ではありませんが、自分はこれまでの自分の生き方のなかで、いくつか信条にしていることがあります。
たとえば、他人に隷属されることは御免こうむりたい。
人とは対等・平等の関係でいたい。
コトバを大切にして自分の頭で考えたい。
今日より明日、明日より将来と、社会全体の未来を明るいものにしたい。
創意工夫をしたい。
何より自由でいたい。
そのために、世の中や物事や事実を知りたい。
他にもありますが、自主・独立の気概をもちたい、などです。
以上は、個人的な要求にすぎませんが、これらは政党でも同じことが言えるのではないでしょうか。すなわち、自主・独立。対等・平等。自由と進歩。理論づくり。もう少し具体的にいえば、国民主権。平和と民主主義。基本的人権。社会進歩・社会変革。他に連帯もあげなければなりません。衆議院選挙では、こうした理念に近づき、そして一歩でも実現できるように、選挙権を行使したいと思います。
まさにわたしたちの投票行動が日本を変えることになります。
有権者は棄権せず必ず投票に行きましょう。
現代は封建制社会ではありません。二世・三世の世襲議員は、特権階層の固定化につながってしまいます。世襲議員という理由だけで支持するのは止めましょう。
世襲議員で思い出すのは、アメリカ合州国の特権階級ではない、殺される側としての若者の怒りをテーマにしたCCRの "Fortunate Son"という唄。この「特権階級の息子」という唄のなかで、「国会議員や大金持ちなど特権階級の子弟が愛国心を鼓舞し戦争に賛意を示しながらも自らはいろいろな理由をつけては徴兵を逃れたり税金逃れをおこなって国や社会に何ら貢献をしない一方、大義なき戦争に説明もなしに駆り出される一般の青年たちや恵まれない青年たち、その殺される側としての怒り」が歌われています。
自民党・公明党と維新・国民民主党など自公政権の補完勢力に票を投じてはなりません。
統一協会議員・裏金議員、親の七光りだけの世襲議員を当選させてはなりません。
勝てば正義ではなく、正義が勝つ社会にしなければなりません。
思考停止こそ停止(克服)しなければなりません。
信頼と勇気、知恵と粘り強さが求められています。