今回の参議院選挙結果は、与党の「圧勝」と言われる。
たしかに議席数からすれば、与党圧勝といえるのかもしれない。けれども、選挙報道を見ていつも思うのは、獲得票数と議席数との関係である。はたして議席数は獲得票数を正しく反映しているのかという問題意識である。もし民意を適切に反映しない選挙制度であるならば、獲得票数がそれほど多くなくても、議席数として圧倒的多数を占めるということがありうるからだ*1*2。
まず選挙区選挙の得票率をみてみよう。
選挙区選挙では、自民党は39.8%(前回)から38.7%(今回)に得票率を減少させている。公明党も7.8%(前回)から6.8%(今回)へと減少させている。当然のことながら、自民党と公明党を合わせて、47.5%(前回)から45.5%(今回)と得票率を減らす結果となっている。
議席数では「圧勝」といいながら、得票率は前回に比べて今回減らしているのだ。
日本維新の会と国民民主党を「野党」にいれてよいのかという議論はあるだろうが*3、自公以外の野党ほかを合わせると、選挙区選挙のその得票率は、52.5%(前回)から54.4%(今回)と増加している*4。つまり、野党共闘を成功させることができるならば、野党側にも勝利の可能性はあるということだ。ところが、繰り返しになるけれど、議席数としては、今回自公政権の圧勝となっている。なんと選挙区選挙での自公政権の議席数は52議席。野党は、その半分以下の23議席に過ぎない。得票率で、自公のほうが自公以外の政党より9%弱低いにもかかわらず、議席数は52議席と、自公以外の政党の23議席と比べて、2倍以上の議席を獲得しているのだ*5。
繰り返すが、一人区では、現状では、野党共闘に成功しなければ勝てない。衆議院選挙での立憲・共産党・れいわ・社民との野党共闘。その大きな成果に恐怖をいだいた権力側が、衆院選挙後、連合など、使えるものは全て使って野党共闘のじゃまをしたということになるのだろう。
野党共闘への横やりも影響しての政治不信、諦観、そして政治にたいする無関心から、既存政党は軒並み得票率を減らした。こうした中で、若干増やしたのは、日本維新の会とれいわ新選組、そして参政党など、あらたな政党だ。しかし、日本維新の会は自公補完勢力のポピュリスト政党といわれているし、参政党は、「綱領」として、「先人の叡智を活かし、天皇を中心に一つにまとまる平和な国をつくる」「日本国の自立と繁栄を追求し、人類の発展に寄与する」「日本の精神と伝統を活かし、調和社会のモデルをつくる」という「綱領」をもつ政党であることに注意が必要だ。
比例選挙の得票率においても、自民党と公明党を合わせて、こちらも48.4%(前回)から46.1%(今回)と得票率を減らしている*6。
選挙区選挙と同じく、日本維新の会と国民民主党を「野党」にいれてよいのかという議論はあるだろうが、自公以外の野党ほか合わせると、51.6%(前回)から54.0%(今回)と増加している*7。当然のことながら、比例選挙区は選挙区選挙とちがって、その議席数は、自公以外の野党ほかで、26議席。自公は24議席と拮抗している。
つまり、「拮抗している」、衆院選に引き続いて野党共闘を成功させることができたら野党側にも勝利の可能性があったというのが、より正確な選挙結果の見方ではなかろうか。
以上みてきたように、今回の選挙結果で議席数において自公圧勝といわれるが、国民の投票状況(各政党の得票率)をみるならば、単純に自公圧勝といえるのか、疑問が残る。これが第一に指摘したい点である。
第二に、今回、安倍元首相殺害*8とともに、私たちを震撼とさせたものに、白日の下にさらされた”宗教”と政治との蜜月関係の問題がある。しかも、その多くが自民党議員、つまり政権与党の議員たちが反社会的団体になんらかのかたちで関与していたことである。
旧統一教会による政治への介入・支配。そのマンパワーと集金・集票能力に引き寄せられる政権与党、またその補完勢力の政治家たち。そうした蜜月関係を明らかにしようとしない御用マスコミ人たち。そして、ジャーナリズムの劣化。安倍元首相殺害事件は、これらまるごとが今日の日本社会なのだということをはからずも映し出してしまった。
旧統一協会と蜜月関係にある政治家たちがどちらを向いて政治をしようとするのかといえば、それは明らかだ。それは国民ではなく、反社会的な集団に向けて政治*9をおこなおうとすることになる。なぜ国際基準の選択制夫婦別姓や同性婚が忌避されるのか。旧統一教会の教えとなればうなずける話だ。自民党の政治家たちの政策が、選択制夫婦別姓に反対、同性婚反対、つまり反国民的となるのもうなづける。
選挙運動期間中の安倍晋三元首相殺害事件の容疑者の動機は、反社会的なカルト的宗教集団として知られる母親が入った旧統一教会に対する恨みからの犯行と報じられている。岸信介・安倍晋太郎・安倍晋三と、安倍家は、三代にわたって旧統一教会と関係をもってきた。全国霊感商法対策弁護士連絡会は、安倍晋三衆議院議員に、旧統一教会やその関連団体の集会・式典に出席したり、祝辞を述べたり、祝電を打ったりしないように、再三、注意をうながしてきたが、そうした親身な忠告を無視して、UPFに、顔も名前も出し家庭の大切さを強調するビデオメッセ―ジを送ってしまった。
「家庭を崩壊させる統一協会の活動について行政も政権を担う党の政治家もこの30年以上何も手を打って」*10こなかった。それは、「政治的なちから」(有田芳生氏)だという。
安倍晋三が総裁であった自民党と旧統一協会との関係は、自民党の代議士の先生方が知らないところで、秘書が祝電を打ったというような一般的な関係ではない。
安倍官房副長官時代から第一次安倍政権時まで秘書官だった自民党の井上義行参議院議員候補者は、元首相殺害事件2日前に旧統一教会の集会に参加していたと報じられているが、旧統一教会系の友好団体の支援*11を受けて当選したと言われている。井上義行議員は、教会関係者から「井上先生は、もう食口(信者の意)になりました」と旧統一教会関係者から紹介される音声が残っている*12が、本人は、後日赤旗の質問に対し「賛同会員」と回答した。信者であっても賛同会員であっても関係していることに違いはない*13。
なぜ安倍晋三や自民党議員は旧統一協会に近づくのか。
コアな意味で政治と歴史を振り返るならば、その鍵は「反共」*14という利害で一致するという分析になるのだろう。
自由民主党の党名は、「自由」と「民主主義」だが、その歴史的使命と賞味期限はとうに切れてしまって、いまや「自由」と「民主主義」の名に値しない反動勢力となってしまったようにみえる。
安倍晋三元首相は、自由と民主主義の価値観を共有する国々云々とよく言っていたけれど、そこから透けて見えるものは、反共という用語に置き換えるとわかりやすい。安倍元首相の自由と民主主義の意味するところは、つまるところ反共なのだ*15。安倍政権・自民党は、「自由」と「民主主義」の名のもとで、「自由」と「民主主義」を破壊してきた。旧統一協会(「世界平和統一家庭連合」)がその名称とは裏腹に、平和を破壊し家庭崩壊させる組織であることとこれは連動する。つまり、いずれもインチキなのだ。
こうした勢力は平気でウソをつく。原発汚染水についての安倍晋三元首相の「アンダーコントロール」発言。モリカケ問題でウソをつき国民から吸い上げた多額の税金をつかうことを合理化する。安倍元首相が誠実な日本語の使い手であるはずもない。
「桜を見る会」の前夜祭に関しても「事務所は関与していない」「明細書はない」「差額は補てんしていない」と国会で118回ウソをついた安倍元首相。最後の国会答弁までもがウソだった*16。こうしたウソをつくことで知られる安倍晋三元首相が「ほれ込」んだ井上秘書官。類は友を呼び、互いを利用するということなのだろう。
とくに選挙の敗北から選挙に勝つことにトコトンこだわった*17のが安倍政権であり、使えるものは何でも使い、いかにウソをついて国民を支配するか(だますか)に熱心だったといえるだろう。公文書改ざん。公文書廃棄。矛盾そのものを忘れさせること。国民の思考停止と忘却を望んでいたとしか思えないのだ。
私たちは「眼くらましの言葉」(大江健三郎)にだまされず、より正確なコトバで現実をよく見て、私たちの意識を変えて、政治をこそ変えなければならない課題に向き合わなくてはいけない。
自公政権の「圧勝」というが、安倍晋三元首相の殺害事件が、権力と闘うジャーナリズムによって、いち早く、より正確に報道されていれば、つまり、国民の知る権利がもっと花開いている言論環境に国民がおかれていれば、同じような選挙結果となったと言えるだろうか。
いま、旧統一協会問題から、マインドコントロールから抜け出して被害者を救済することが課題となっている。インチキ”宗教”団体が政治を支配し、その影響力を発揮していることが明らかにされつつある中で、わたしたちの投票行動においてもマインドコントロールがはたらいていなかったかと危惧する。
こうした支配から抜け出すにはどうしたらよいのか。思考停止から逃れるにはどうしたらよいのか。
第一に、誰が信頼できるのか、誰が信頼できないのか、明確にすることである。
いま旧統一協会を「踏み絵」にして日々あぶりだされているテレビ・マスコミ言論人に正しい評価を下す必要がある*18。権力側による統制・支配がここまで進んでくると*19、テレビや一般紙だけ見ていても本質はわからない。地味ではあるが、ドキュメンタリー映画、YouTubeやSNSなど、社会的教育力も使って、国民の政治的教養・リタラシーを上げていく学び*20が必要だ。
第二に、そのためには、良識ある専門家から学ぶ必要がある。とくに地道な努力をしてきた弁護士の先生方、ジャーナリストから学ぶ必要がある。国民の知る権利を正しく発揮していく必要がある。
第三に、そうして”マインドコントロール”からめざめ、政治的諦観・政治的無関心・政治的思考停止から抜け出し、自公政権とその補完勢力に政治的審判をくだすことである。そうして「分断」社会を乗り越え、すべての個人の基本的人権が擁護される、国民主権の花開く、安全・安心な社会をつくっていかなければならない。
2022年参院選から1週間。素朴な疑問として思う。
反社会的な旧統一協会と蜜月関係にある政権与党って、大丈夫なんですか。