NZ旅
さて今晩は、テ・アラロア近くの8ドルのホリデイパークに泊まることにした。 ここに住んでいる男性は、生粋のキーウィだ。 ノブタ狩りなどの狩猟生活で、消費的生活はなるべく安い方がいいという生活哲学。 安いビール、安いワインがいいという。 「大体、あ…
オークランド大学出身の彼女を次の町まで送ることになって、車の中でいろいろと話をした。 明日から、ウォーマッド(WOMAD)のコンサートがあって、彼女自身、明日からウォーマッド(Womad.org | World of Music, Arts & Dance)に参加するという。 実は、この…
さて、そろそろお暇をしなければいかない時間となった。 マオリは、ホンギといって、鼻と鼻とをくっつけて、挨拶をする。 すでに私は、このホンギが嫌でない。 キーウィ化についで、多少のマオリ化を果たしてきたと言うことになるのだろうか。
学校長に続いて、オークランド大卒の文学専攻の女性教師と話をした。 やはり1980年代から、従来の保守的、イギリス風価値観から、新しいアオテアロア・ニュージーランド的価値観が力を持ってきたらしい。 言語については、彼女との話がとても面白かった。
以前私は若気の至りで、アメリカ文化に賛意を示していたが、ベトナム戦争、イラク戦争と、戦争肯定のアメリカ合州国に嫌気がさし、今やアメリカ合州国に対して否定的だという話を学校長にしたら、アメリカ文化の浸透は、マオリの子供たちへの悪影響も無視で…
マオリの教員室で私は大いに語り合ったのだが、マオリ社会は従来の価値観を大事にしていたけれど、都市化(urbanization)によって、家族や共同体がバラバラにされてしまった。言語や土地そして、共同体をいま取り戻している渦中にあるという認識を多くの教員…
さて、飛び入りだが、久しぶりに授業らしいことをやって、少しお腹が空いた。 キーウィの学校の職員室に来て、いつもいいなと思うことは、休憩時間に食べ物や飲み物がたくさんあることだ。 コーヒー、紅茶はもちろんだが、パイ、自分で作るサンドイッチなど…
ワイアタ(歌)を子どもたちが披露してくれた。 子どもたちのリクエストで、何か唄を歌ってくれないかと、男性教員を通じて言われたので、実に私は恥かしがり屋であるのだが、「ギターはありませんか」と男性教員に尋ねた。 私は子どもたちに、「恥かしがり…
私はニュージーランドではなく、アオテアロア、つまりマオリの文化と日本の文化はかなり共通性があると思っていると述べて、何が共通性であるかわかりますかと、マオリの子どもたちに問いた。 様々な答えがマオリの子どもたちから飛び出して来たが、私なりの…
数字を教えてくれとの質問があったので、私は、ホワイトボードに、1から10の数字を書いて、次のように発音をした。 タヒ・ルア・トル・ファー。タヒ・ルア・トル・ファーと、何度も早目に発音をした。 次に、いち、に、さん、し、ごう、ろく、しち、はち、…
私に対する質問がさまざまされたのだが、その中に「いくつのコトバを話せますか」という質問があった。マオリの子供たちは、私のマオリ語に対する熟練度をすでに見破っているので、マオリ語と英語と半々で、質問をしてきてくれる。 「いくつのコトバを話せま…
私は自分の名前をホワイトボードに漢字で書いて、日本は偉大な中国から学び、言語的に恩恵を受けていること。それぞれの漢字に意味があることを、マオリの子どもたちに伝えた。 私の苗字には、田の字があるのだが、この田は「窓」のように見えるが、実は「窓…
授業を見学していると、フランス系のマオリの男性の先生が、私に挨拶をし始めた。マオリの正式の挨拶だ。 もちろん、彼の話を全部はわからない。 だが、すでに尻込みはできない。 この流れからすると、私もスピーチをしないといけない破目になりそうだ。マオ…
これはすでに昨日のことだが、トータルエマージョンスクールを再び訪問した*1。 これが私にとって素晴らしい体験となった。 昨晩のキャンプは海岸でのキャンプだから、施設的には限りがあったが、舗装されていない道路を走り抜け、約束の9時30分に、学校にな…
町から離れると、舗装がしていない道路になった。また埃まみれの道路を、海岸沿いのマラエをめざして車を走らせる。 一度道を間違えて違うマラエに行ってしまったのだが、海岸につながる川を何度か横切らないといけなかった。そのマラエで正しい道を教えても…
テ・アラロアも東海岸の他の地域と同じように、マオリの影響の強い地域だ。 テ・アラロア(Te Araroa)のトータルエマージョンの学校を、明日朝、訪問する約束をした。この教師のとりはからいで、今日はマラエに泊まることとなった。
ニュージーランドにはあちこちに温泉があるのだが、テ・アラロアに向かう途中、テ・プイア(Te Puia Springs)という温泉があった。 このホテルで、ジンジャエールを飲みながら休憩して、店主と話をする。 この温泉は、夏に混んで、冬はガラガラだと言う。 客…
テ・アラロアをめざして、トコマル湾(Tokomaru Bay)で休憩をとる。 ひとつの店で1ドルのジュースを買って話をしていると、トコマル湾には、トータルエマージョンとバイリンガルの学校があるという。もちろん、保護者たちはいずれかの学校を選べる。 トコマル…
英語でいうと、Language Commissionにあたるタウラフィリ・テ・レオ(Taurawhiri te reo)という組織がある。日本語なら、「マオリ語委員会」というようなところだろうか。 園長の話では、マオリ語は、部族ごとにコトバが違うが、コミュニケーション的に問題は…
このコハンガレオでマオリ語を学んだ日本人で、佐藤(仮名)さんという20代後半の男性がいたようだ。 3ヶ月ほどでかなりのレベルまでマスターしたというので、園長先生は、「この日本人をみならいなさい」とマオリ語の学習に消極的なマオリに対して苦言を呈…
「ニュージーランドのことを、アオテアロア・ニュージーランド、あるいはニュージーランド・アオテアロアと表記すべきという論がありますが、これはどう思われますか」と私が質問すると、「アオテアロアは、アオテアロアね。昔っから、アオテアロアは、アオ…
マオリの伝統的価値観は、家族や、部族を大事にして生活することだ。イウィやハプを大事にして、マラエに属して生きるということだろう*1。 園長の話では、伝統的に自給自足(self-sufficient)ができる生活だったのに、政府は、牧畜業などの産業をつぶして、…
マオリ語はいったんは、死に絶えつつあった言語だ。 マオリルネッサンス、マオリ復活運動の中で、土地と言語を二本柱としてマオリが闘ってきて、タオンガ(財産)として言語をとらえ直したのである。 ネイピアのトータルエマージョンの学校では、マオリ語中…
トラガ湾のコハンガレオで、私は園長さんと話をした。 この73歳の園長の個人体験では、家庭やマラエではマオリ語を話し、学校では英語を話さないといけなかったが、当時の彼女は英語が話せなかったという。だから彼女にとっての英語はあとから一生懸命学んだ…
トラガ湾のインターネットカフェの店員は、マオリの女性だった。ギズボーン出身だという。 ここのマシンはOSがXPだから大丈夫。自分で日本語の言語を設定した。15分で2ドル50セントと少し高いが仕方がない。 ワイカト大学(The University of Waikato)のマオ…
ホリデイパークを発つ前に、台所の前でくつろいでいるキーウィの若者と話をした。 キーウィの若者の自殺率が高いことの理由や裸足の理由など、さまざまな話題について彼と話をした。
トラガ湾のホリデイパークも10ドルだった。 店が15軒くらいしかない町の酒屋に出かけると、ビールを量り売りで売っている。 尋ねると、ビールが、2リットルで、8.5ドル。 ホリデイパークを利用した旅で少し困るのが冷蔵庫だ。もちろん店で飲むなら問題ないが…
ファンガラー(Whangara)は、映画「クジラの島の少女 [DVD]」(Whalerider)で有名になった町である。 私も、東海岸を訪れた際には、立ち寄ろうと思っていた町のひとつだ。 ファンガラーという名前のついた倉庫が右に見えたので、そのうち2、3軒の店のある町が…
ギズボーンのインターネットカフェには二日間お世話になった。 これから北島の東海岸を北上するつもりだが、インターネット環境、とくに日本語環境はなかなか得られないだろうと思う。 このインターネットカフェは中国人二人で経営しているらしく、よく話を…
バンクオブニュージーランドで、ネイピアの違反切符代10ドルの小切手を作ってもらった。 小切手を作るのに、5ドルかかるのもバカげた話だ。 自嘲気味に不平をもらすと、「私たちもオーストラリアなんかでよくある話ですよ」と彼女が言うので、「それでも、英…