Aotearoa/NZ
私に対する質問がさまざまされたのだが、その中に「いくつのコトバを話せますか」という質問があった。マオリの子供たちは、私のマオリ語に対する熟練度をすでに見破っているので、マオリ語と英語と半々で、質問をしてきてくれる。 「いくつのコトバを話せま…
私は自分の名前をホワイトボードに漢字で書いて、日本は偉大な中国から学び、言語的に恩恵を受けていること。それぞれの漢字に意味があることを、マオリの子どもたちに伝えた。 私の苗字には、田の字があるのだが、この田は「窓」のように見えるが、実は「窓…
授業を見学していると、フランス系のマオリの男性の先生が、私に挨拶をし始めた。マオリの正式の挨拶だ。 もちろん、彼の話を全部はわからない。 だが、すでに尻込みはできない。 この流れからすると、私もスピーチをしないといけない破目になりそうだ。マオ…
これはすでに昨日のことだが、トータルエマージョンスクールを再び訪問した*1。 これが私にとって素晴らしい体験となった。 昨晩のキャンプは海岸でのキャンプだから、施設的には限りがあったが、舗装されていない道路を走り抜け、約束の9時30分に、学校にな…
町から離れると、舗装がしていない道路になった。また埃まみれの道路を、海岸沿いのマラエをめざして車を走らせる。 一度道を間違えて違うマラエに行ってしまったのだが、海岸につながる川を何度か横切らないといけなかった。そのマラエで正しい道を教えても…
英語でいうと、Language Commissionにあたるタウラフィリ・テ・レオ(Taurawhiri te reo)という組織がある。日本語なら、「マオリ語委員会」というようなところだろうか。 園長の話では、マオリ語は、部族ごとにコトバが違うが、コミュニケーション的に問題は…
「ニュージーランドのことを、アオテアロア・ニュージーランド、あるいはニュージーランド・アオテアロアと表記すべきという論がありますが、これはどう思われますか」と私が質問すると、「アオテアロアは、アオテアロアね。昔っから、アオテアロアは、アオ…
マオリの伝統的価値観は、家族や、部族を大事にして生活することだ。イウィやハプを大事にして、マラエに属して生きるということだろう*1。 園長の話では、伝統的に自給自足(self-sufficient)ができる生活だったのに、政府は、牧畜業などの産業をつぶして、…
マオリ語はいったんは、死に絶えつつあった言語だ。 マオリルネッサンス、マオリ復活運動の中で、土地と言語を二本柱としてマオリが闘ってきて、タオンガ(財産)として言語をとらえ直したのである。 ネイピアのトータルエマージョンの学校では、マオリ語中…
トラガ湾のホリデイパークも10ドルだった。 店が15軒くらいしかない町の酒屋に出かけると、ビールを量り売りで売っている。 尋ねると、ビールが、2リットルで、8.5ドル。 ホリデイパークを利用した旅で少し困るのが冷蔵庫だ。もちろん店で飲むなら問題ないが…
ギズボーンでは、小高い丘に車を登らせて町の景観を見て、ポバティベイ、キャプテンクックの像、ヤングニックの像、ニュージーランドでも大きなマラエ訪問などをした。 町中で車をとめている場所に戻るときに、ワインテイスティングをしている店があったので…
これも昨日のことだが、ギズボーンの博物館を訪れようとした際に、大きなカメラを持って橋を渡って来る黒人にたまたま出会った。挨拶を交わすと、ギズボーンに住んでいる友人に前から何度も誘われていて、わざわざイギリスから会いに来たという。 彼は博物館…
これはすでに一昨日前のことだが、ギズボーンの広大なホリデイパークの夜は、私が子ども時代の夏に出かけた田舎を思い出させた。 町中と違って、ここはほとんど明かりがない。 すでに秋の虫も鳴いている。 町中のチャイニーズテイクアウェイでマオリの若者の…
テ=クーティ(Te Kooti)は、19世紀初頭に、ポバティベイ のロンゴファカアタ(Rongowhakaata)族に生まれた。 テ=クーティ(Te Kooti)は、アングリカンミッションスクールに行った。 政府軍に包囲されていた際に、ギズボーンのハウハウ(Hauhau)を支持したこと…
ツランガヌイ・ア・キワ(現在のギズボーン)の歴史は古い。ヨーロッパ系との関わりも重要なものがある。 まず、ツランガヌイ・ア・キワの町の前に広がる湾を英語でPoverty Bayというが、その由来は、キャプテンクックと深い関連がある。 1769年10月9日、キ…
ギズボーン(Gisborne)という地名は、1874年に、当時の植民地支配の監督者名から名づけられたもので、元々は、もちろんツランガヌイ・ア・キワ(Turanganui-A-Kiwa)*1というマオリ語名があった。 以下のギズボーンやテ=クーティ(Te Kooti)に関する説明は、「…
ここのモーターキャンプも10ドルだ。 いつものように、ここもキャンピングカーが多い。 テントを設営して、車を見ると、埃まみれである。 オーストラリアに現在は住んでいるが、ベルギー出身の若夫婦が、私の後から来て、テントを設営している。彼らには、小…
ワイカレモアナ湖のホリデイパークは、食料は結構置いてあるし、釣りのギアも売っている。 ネイピアのインターネットカフェは、少々高かったが、快適だった。日本語も問題なく使えたし、2.5ドルだが本物のカフェラテも飲めた。 ワイロアのI-Siteの係員による…
ワイロア(Wairoa)からワイカレモアナ(Waikaremoana)湖への道は結構大変だった。 湖近くになると、グラヴェル(gravel)道路といって、舗装されていない道路がところどころ、交互にあらわれる。 だから、ちょっとスピードを出すと、砂煙がもうもうたる状況だ。 …
この映画会は、ワイロアフィルムショーと題されていて、入場料は5ドルだった。 1901年に撮影された、コーンウォールとヨークからの皇室を迎えるための歓迎ハカダンス。1926年のSir James Carrollのギズボーン、ポバティベイでの葬式。1931年のワイロアとギズ…
ワイロア博物館に行ってみると、入場料は、コハ(Koha)とある。マオリ語で、寄付の意味だ。 ここの展示は、ネイピアの博物館などよりもずっとましな印象を受けた。 二人の白人女性が受付にいるのだが、感じもいい。 マオリの展示もそこそこ充実しているし、今…
これもすでに昨日のことだが、ワイロア(Wairoa)のI-Siteで、ワイロアでインターネット環境があるかどうか尋ねた。 どうやらワイロアにあるインターネット環境は、このI-Siteの片隅に置いてあるパソコン一台と一軒のインターネットカフェだけのようだが、肝心…
さて、ニュージーランド北島の東海岸は、マオリの影響が強い地域であり、人里離れたような印象も強い。おそらく日本人観光客はあまり訪れないような印象がある。 「ウォーキングツアーに参加してアールデコを学び、博物館にも行ったのですが、アールデコと、…
ネイピアの博物館に対する私の印象は、マオリの展示と白人の展示との関係の折り合いがついていない印象を受けた。ネイピアの博物館には、せっかく素晴らしいものがありながら、各展示がバラバラな印象なのだ。 ネイピアの博物館には、マオリの彫像物の展示と…
ウォーキングツアーを終えて、ネイピアの博物館を訪問する。 現在閉鎖されている展示箇所があるので6ドルだったけれど、この博物館の入場料は結構高い。 マオリ関係の素晴らしい彫像がたくさんある。そして、ネイピアに住んでいた女性が書いた日記を中心に組…
これもすでに昨日のことだが、ネイピアに来た最後の理由、ウォーキングツアーに参加した。 アールデコの街、ネイピアのウォーキングツアーは楽しい。1時間ほどのツアーで大地震*1によるネイピアの町の変化とアールデコの基本がわかる。 ツアーの最後には、20…
学校長にお礼を言って私はトータルエマージョンを去ることになったが、最後に校長は、この学校に来たことを忘れないようにと、黄色い色でマオリデザインのペイントをした石を私にくれた。 トータルエマージョンは、なんとも学校らしい、素晴らしい普通の学校…
芸術科の教師と一緒にいたコハンガレオの教師とも職員室で交流ができたので、隣接するコハンガレオにも出かけてみることにした。 コハンガレオは、政府の正式な機関ではなく、基本的には、保護者からの出資で金銭的にまかなわれているという。だからコハンガ…
彼女にお薦めの歌手の名前を紹介してもらえるように質問をしたが、たくさんあると言いながら、以下のものを薦められた。 Toni Huata Hinewehi Mohi Tui Teka カパハカのDVDかビデオの入手方法についても聞いたが、以下のサイトで入手できるのではないかと教…
マオリがどこから来たのかということに関してウエリントンの国立図書館員に聞いたときには、インドネシアからメラネシア、ミクロネシア、ポリネシア、そしてアオテアロアという言説があると聞いたし、もとからアオテアロアにいたのだという言説もあると聞い…