Maori

「ニュージーランド物語」の第2章「マオリ」(その3)を読む

たとえばスコットランド人の氏族(clans)のように、他の人間と同様、マオリも自分達の親族に強い結びつきを感じて暮らしていた。ファーナウ(家族)*1とともに暮らし、ハプ(亜族)*2と呼ばれる、従兄弟や他の親族とともに暮らしていたのだ。この親族の最大の…

「ニュージーランド物語」の第2章「マオリ」(その2)を読む

おそらく、ニュージーランドポリネシア人の偉大なる貢献は、熱帯の生活様式を、温和で穏やかな土地に適合させたことだ。例えば、熱帯地域では、クマラ(さつまいも)*1は一年中収穫できるが、こうしたクマラは寒気に弱い。ところが、新しい地にあって、クマ…

「ニュージーランド物語」の第2章「マオリ」(その1)を読む

ニュージーランドが他の土地からかなり離れていたことから、人間が住み始める場所としては、かなり遅い方に属する場所となった。 ヨーロッパ人が来る前にニュージーランドに来た人間は、ポリネシア人だった。 ポリネシア人は、そもそもアジア人*1で、4000年…

「ニュージーランド物語」の第1章「鳥の住む大地」を読む

私のホームステイファミリーであるアレックスとジュディの長女マーガレット、その連れ合いのジェフは、高校教師だ。 そのジェフに借りた「ニュージーランド物語」*1(ジュディス=バセット、キース=シンクレア、マーシャ=ステンソン著)は、子どもを対象に…

マッスルの炊き込みご飯は少し醤油が足りなかったかもしれない

実は、寿司と一緒に、私が持ってきた電気炊飯器で、マッスルの炊き込みご飯を、同時平行的に作っていた。 新鮮なマッスルをタミハナに開けてもらって、お米をとぎ、そこに大ぶりのマッスルを何個も入れ、お醤油をさして、さらに、韓国産の干ししいたけも入れ…

タミハナからアワビをご馳走になる

アワビは好きかとタミハナが私に聞くので、もちろんと言って、日本であわびは贅沢な海産物であることを伝えた。もちろん、アワビは私の大好物のひとつである。 こうしたアワビも、ウニ同様、潮干狩り感覚で子どもたちと一緒に取ってきたものだという。場所は…

タミハナの家で、寿司をつくる

そのナルワヒアのワイカト川の辺にたっているタミハナの家に着いて、車から出ると、玄関横の野原で、タミハナと一緒にマオリの子どもたちがバケツにウニをあけていた。 見ると、作業中のタミハナの手は、ウニの黒いトゲだらけだが、再会を祝して握手をする。…

ナルワヒアにあるタミハナの家に、再度遊びに行く

マッスルを生で食べることを教えてくれたタミハナの家に再度遊びに行くことを、私は12月に約束していたのだが、急遽日本に帰国しなければならなくなったため、その約束を果たせないでいた。 タミハナとはメールで連絡を取り合っていたが、今日自宅に電話をし…

生でマッスル貝を食べた貴重なアオテアロア的体験

ナルワヒアに住んでいるタミハナとニコルは、たまたま私がマオリ土地戦争のフィールドワークで、ナルワヒア(Ngāruawāhia)を訪問している最中に偶然に出会い、その場で彼らの家にお茶に招待されて、知りあったマオリのご夫婦である。 その後、12月にもナルワ…

ジュピターの個人話を聞く

ジュピターには、5人の兄弟と、3人の姉妹がいるという。 うち二人は、コハンガ・レオの教師だそうだ。いわば言語に関する自覚的マオリであろう。 ただ、兄弟・姉妹がみな言語に関して自覚的マオリかというと、マオリ語は別にいりません、英語だけでいいとい…

ウォッカもはいって、イングランド言語史を、ジュピターにぶちまける

ジュピターが手土産に持ってきたものは、クリストブ(Kristov)というウォッカだった。 ニュージーランドでも、一日ビールの小瓶1本くらいしか飲まない私はウィスキーなどの強い酒は全く口にしない。いわゆるスピリッツをほとんど飲まない私は、「これ、ウォッ…

ジュピターに寿司を食べさせてみた

夕食の準備をしていると、ジュピターが自転車でやってきた。 まずはロサンゼルスでお世話になったジェニーの連れ合いのトニーが大好きな南島のスパイツ(Speight’s)ビールで乾杯。 つまみには、ホタテとマグロの刺身を出してあげたが、刺身醤油と、ワサビは、…

コハンガ・レオの教師をやってみませんか

コハンガ・レオとは、1980年代に始まり、すぐに爆発的に増えたマオリ語とマオリ文化の幼児教育施設である。 コハンガ・レオとは、マオリ語で「コトバの巣」を意味するのだが、このコハンガ・レオの先生の仕事がどのようなものなのか、どのような適性と能力が…

文化衝突後に引き続く「同化」政策を乗り越えて、自立・多様性・共生の時代をめざす

西洋文明との接触は、オランダ、そしてフランスとイギリスとの競争など、ヨーロッパ諸国間の矛盾はありながらも、結局は英米のもつ圧倒的経済力と軍事力、そしてキリスト教という神学上のイデオロギーと、司法・行政・立法上の社会制度の導入、そしてそれら…

学校でマオリ語を喋ると昔は鞭で叩かれたものよ

レガッタを見ながら、私は、ヘミのお母さんにマオリ語の歴史について、少しだけ聴いてみた。 家庭では、マオリ語で育てられたが、学校では、英語だったと彼女は言った。マオリ語を話すと、鞭で叩かれたものだと続けた。 教師は意地悪で、マオリの子どもたち…

ヘミと一緒に今日もワカ・アマ・レガッタに出かける

そのヘミが金曜日にワカ・アマ・レガッタに一緒に行こうと誘ってくれたので、今日も彼と一緒にレガッタ見物に行くことにした。 お母さんと、甥っ子や姪っ子の子どもたちが乗っている車で、私のホームステイ宅までヘミが迎えに来てくれた。 ヘミの甥っ子や姪…

孫を連れたこの教授は、まさに見識の高い人格者だった

そして彼が、彼の孫と一緒に、私をワカ・アマ・レガッタに二日前に連れて行ってくれたのだ。 彼の孫がたまたまドラゴンボールZのバックパックを背負っていたので、私はドラゴンボールZを話題にした。彼の孫は、昼過ぎの3時から放映されているドラゴンボールZ…

ワイカト大学の教授に私が読むべき研究者の名前を教えてもらった

初級マオリ語を教えてくれた講師のヘミに会いにワイカト大学(The University of Waikato)に行ったのは、彼にいろいろと教えてもらおうと思ってのことだ。 マオリ語が公用語化されたのが1987年という遅い時期であったけれど、それ以前は、学校教育での英語の…

ワカ・アマ・レガッタを二回見物する

今テレビでは、メルボルンで開催されているテニス大会で盛り上がっていて、アレックスもジュディも、このオーストラリアオープンに夢中だったが、ハミルトンの隣町であるケンブリッジから少し行ったカラピロ湖(Lake Karapiro)では、「ワカ・アマ・レガッタ」…

マオリ語公用語化も、ワイタンギ条約をめぐる審判所での申し立てから始まった

基本的人権の中で重要な位置をしめるものは、なんと言っても生存権だろう。生存権が保障されなければ、他の権利の保障は無意味だ。 もちろん労働する権利、労働権も重要だが、労働権を保障するためには、なんといっても教育権が保障されなくてはならない。教…

ワイタンギ条約をめぐる異議申し立ては、審判所でなされる

クローディア=オレンジ(Claudia Orange)氏は、ワイタンギ条約に関わる歴史研究者で、オークランド大学で歴史を教えた経験をもっている。彼女は、マオリ問題が日常的話題となる地域・家庭環境に育ち、ワイタンギ審判所や裁判公聴会に関わる議論に一貫して関…

ニュージーランドの二つの公用語

大学図書館からインターネットのグーグル*1で、「ニュージーランドの公用語」というキーワードで検索をしたら、たまたま「ニュージーランドの公用語」(New Zealand's Official Languages)というタイトルの旅行業者のホームページがトップに出てきた。以下掲…

キングカントリーとは何か

以下の記述は、ロンリープラネットガイドブックに負っている*1。 キングカントリー(The King Country)とは、1850年代から1860年代初頭にかけて取り組まれたマオリ王運動から生まれた地域の呼称である。1863年から1864年にかけて起こったワイカト戦争後、タフ…

マオリにとっての土地とワイカト土地戦争のもつ意味

一方のマオリにとって、ワイカト戦争とはどういう意味をもつものなのか。Judith Bassett, Keith Sinclair, Marcia StensonのThe Story of New Zealandには、次のような記述がある。 「マオリはこの土地没収をけっして忘れることはない。それは、ワイタンギ条…

ワイカト戦争を振り返ってみる

今回、フィールドワークを多少おこない、各地の歴史的記述がされている看板を読んで、そしていくつかの書籍を読んでみて感じたことは、まずワイカト土地戦争が明確に侵略(invasion)と明記されていることである*1。 フィールドワークの際にも、さまざまなキー…

ワイカト戦争の最後がタウランガで起こる

マイケル=キングの本によれば、ワイカト土地戦争の最後の戦闘は、ベイオブプレンティのタウランガ(Tauranga)近くで生じたという*1。 1864年4月28日、キャメロンは、1700人の軍隊と17門の大砲で、230人のマオリによって防衛されていたガテ村(Gate Pa)を襲っ…

オラカウの闘い

ワイカトへの最終段階での大きな軍事作戦は、1864年の3月31日から4月2日にかけておこなわれたオラカウの闘いであった。 レウィ=マニアポト(Rewi Maniapoto)の例のコトバ、最後の最後まで戦うというコトバが残された戦場である。負傷したマオリも、最後は、…

非戦闘地域・ランギアオヒアへの日曜日の襲撃

聖ポールのアングリカン教会のあるランギアオヒアが襲撃されたのは、日曜日のことだった。 これは私事になるが、20数年前に雑誌タイムで、イギリスで日曜日に商売をする店が出現したという記事を眼にしたことがあるが、キリスト教徒にとっての日曜日は、それ…

こうして、ワイカトへの侵略が1863年7月12日に始まった

これ以降のことは、マオリ土地戦争のフィールドワークとして、あちこちに書いたので重複は避けるが、マイケル=キングの本をもとにして、もう一度簡単におさらいしておこう。 キャメロン将軍率いる軍が、マンガタフィリ川を越え、最初の戦闘は、7月17日、コ…

タラナキ戦争からワイカト戦争へ

ロンリープラネットガイドブックから、再び、マイケル=キングの本に戻る。 マイケル=キングの本によれば、タラナキ戦争の結末については、次のようにある。 タラナキ戦争にそなえて、ゴア=ブラウン総督(Governor Gore Browne)は、オーストラリアから3000…