アメリカ合州国の禁書圧力・言論圧力

 アメリカ合州国の、とりわけ保守的風土においては、禁書*1運動は伝統的にめずらしいものではない*2*3が、近年、「保守層が人種差別やLGBTQ(性的少数者)について教えることに反対」し、「人種差別や性的少数者に関する教育に反対する動きが一部の保守派の間で強まってい」て、「禁書を促す組織や団体が各地の教育委員会に訴えたり教員や図書委員を刑事告訴したりして本の規制を求めてい」た。 

 たとえば、以下の日経新聞の記事は、昨年4月と9月のもの。

www.nikkei.com

www.nikkei.com

 また以下は、朝日のGlobeの記事で、昨年10月のもの。

globe.asahi.com

 アメリカ合州国では、こうした禁書の動きが最近ますます強まっているという。

 ペン・アメリカの今年の4月20日のプレスリリースによると、アメリカ合州国では、近年、禁書が、3割弱(28%)増加したという。州の法令によって公立学校の子どもたちの本の接触に制約がかけられているかたちだ。

 以下、ペン・アメリカより。

pen.org

 公立学校における禁書について、ペン・アメリカは、2021年7月より調査を始めたが、2022年12月までに、4000例以上の禁書を記録している。保護者や関心の高い市民によって始められた禁書とは対照的に今年度は州法による禁書が1/3にものぼっている。州法による禁書が強化された州としては、フロリダ州ユタ州ミズーリ―州があげられる。図書館を罰則で脅し、萎縮効果(chilling effect)に拍車をかけている。

 「言論活動に冷や水を浴びせ怖じ気ずかせるこうした熱心な動きは、いまアメリカ合州国全土にわたって進行している「教育への威嚇」(エド・スケア)の一部---すなわち、その最終目的が公教育における言論の自由を抑圧するところの、不安や怒りを扇動するキャンペーンである。禁書がエスカレートしていく中で、また人種やジェンダーアメリカ史・LGBTQプラスというアイデンティティ等をテーマとする教育実践に制限をかける法律の制定努力の急拡大とあいまって、生徒たちにとっては、読む自由・学ぶ自由・考える自由が、知らぬ間に根こそぎ害され続けている」(These efforts to chill speech are part of the ongoing nationwide “Ed Scare” – a campaign to foment anxiety and anger with the ultimate goal of suppressing free expression in public education. As book bans escalate, coupled with the proliferation of legislative efforts to restrict teaching about topics such as race, gender, American history, and LGBTQ+ identities, the freedom to read, learn, and think continues to be undermined for students.)

 以下は、その特徴のいくつかである。

 ・テキサス州フロリダ州が引き続き禁書運動の先頭に立っている

 ・今年度禁書とされた1477冊もの本の中で、26%は、LGBTQプラスをテーマにしたもの、あるいはその登場人物を含んだもので、30%は、人種・人種差別・登場人物で有色人種を含んだものだった*4

 ・今年度新たに際立った特徴は、教室や図書室をまるごと一時的にあるいは長期に恒久的に使えなくする、一度にまとめて大量に禁止をするという「まるごと禁止」(wholesale bans)で、新州法に圧力を感じた教師や司書が全没収に恐怖したのは当然のこと。これらの数の調査は困難で、ペン・アメリカ調査の禁書数には入れていない

 以下も、ペン・アメリカより。

 2023-2024年の学年上半期で公立学校の禁書数の多かった州を色分けしている。

from PEN America

 禁書にした本を図書館の書棚に戻しなさいという連邦裁判官の判断も出されたが、テキサス州のリャノ郡(Llano County, Texas)では、LGBTQや人種問題を扱った本を戻すくらいなら、逆に、州による図書館制度をやめて、図書館を廃止するという過激な反応(運動)になっているようだ。まさに「テキサス州フロリダ州が引き続き禁書運動の先頭に立っている」わけだ。

 ひるがえって、この日本でも、「はだしのゲン」「第五福竜丸」が平和教材から排除されたことは記憶にあたらしい。これを教育破壊といってさしつかえないと思われるが、アメリカ合州国の禁書圧力・言論圧力も教育破壊といってさしつかえないだろう。LGBTQにたいする日本の自公政権による政治的扱いも非寛容・非国際的であり、これらは日米共通の政権の流れである印象がぬぐえないが、いずれにせよ、言論の自由・出版の自由、教育・人権・民主主義に深くかかわる重要な問題であることは間違いない。

news.yahoo.co.jp

*1:禁書については、たとえば、「禁書」の真実をどれだけ知っていますか この蘊蓄100章は人に話したくなる | 蘊蓄の箪笥 100章 | 東洋経済オンラインを参照のこと。

*2:たとえば発禁処分になった名作10冊とその理由──米国「禁書週間」にあわせて公開 - KAI-YOU.netを参照のこと。

*3:古典的には進化論裁判のダーウィンの「進化論」。ジョン=スタインベックの「怒りの葡萄」やマーク=トウェインの「ハックルベリー・フィンの冒険」も発禁処分になった歴史がある。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」、ジョージ・オーウェルの「1984年」・「動物農場」も物議をかもした書物で、こうしてみると禁書になったものは、むしろ逆に文学的・社会的に意義の高い作品、ときに進歩的作品といってもよいものであることがわかる。映画「フィールドオブドリームズ」においても主人公のパートナーが禁書に反対論陣を張るPTA討論会の一場面があった。アニーが60年代が戻って来たようだと興奮する印象深い一場面だった。Remember Annie’s anti-book-banning speech in Field of Dreams? ‹ Literary Hub (lithub.com) この場面を引用しながら論じている記事もあり、禁書処置が日常の現実問題であることが理解できる。Opinion: 'Field of Dreams' PTA scene is relevant in Iowa today (desmoinesregister.com) 

*4:今年度いままでに頻繁に禁止された本は次のもの。内容は未見だが、LGBTQプラスや人種問題が背景にあることは間違いないようだ。Gender Queer: A Memoir by Maia Kobabe (15 教育行政管区で禁止)。Flamer by Mike Curato (15 教育行政管区で禁止)。Tricks by Ellen Hopkins (13 教育行政管区で禁止)。The Handmaid’s Tale: The Graphic Novel by Margaret Atwood and Renee Nault (12 教育行政管区で禁止)。

WPMのお話 ー外国語学習(言語活動学習)とスピードー

 英語を学ぶ際の観点として、学ぶ際の方法論として、スピードというものが大切であると感じてきた*1

 英語学習におけるスピードがいかに重要かという話をするときには、言語活動学習と言語学習の区別と連関の理解が前提となる*2

 もうひとつ、自覚しておかないといけないことは、日本の言語環境が、第二言語(second language)としてではなくまさに外国語(foreign language)としての教育・外国語学習という環境であるということだ*3

 さて、そうした日本の言語環境・社会環境における外国語学習を考える場合、言語学習と言語活動学習とに分けて考えるとよいと考えている。

 言語学習とは、文法学習や語彙学習が含まれる。背景的知識の学習を含めてもよい。これらを時間をかけて学ぶ、時間をかけて学べるという点が言語学習のポイントだ。

 一方、言語活動学習には、聞く活動や話す活動が含まれる。言語活動学習においては、聞く活動・話す活動においては、時間をかける余裕はなく、瞬時に、対応が迫られるという点がまさに言語活動学習のポイントだ。

 そして、母語と同じく、外国語学習においても、言語学習と言語活動学習とを区別しつつ、その両方をバランスよく統一して学ぶという課題がある。

 ChatGPTやDeepLなど、いわゆる人工知能(AI)の登場によって、しっかり文法を学ぶ、作文能力を磨くべきという点を強調したいのだが、今回は、言語活動学習におけるスピードの重要性を指摘したい。

 語順の違う日本語と英語とは統語論がまるで違うので、いわゆる直読直解はむずかしい。けれども、聞いたり、話したりという言語活動学習の場合、語順の違いを乗り越え克服し、直読直解や「理解のともなう音読」(自分の造語)ができるようにならなければ、言語活動学習の習得は困難をきわめ、外国語をマスターしたとは到底いえない。

 これは個人的体験の話で恐縮だが、大学時代の授業でシェイクスピアハムレット(Hamlet)を学んだことがある。言語活動を学ぶときの教材としては、(1)テキスト(2)音声(3)動画 があるとよいのだが、このときの学習環境としてはテキストだけだった。いまは、YouTubeもあるから、(2)も(3)も利用できる。

 そこで、重要なものがスピードであり、スピードをはかる尺度としてのWPMである。WPMとは、1分間に流れる語数(words per minute)のことで、1分間に流れる語数が多ければスピードが速いということになるし、少なければ、遅いということになる。

 たとえば、シェイクスピア(Shakespeare)の「ハムレット」に、"To be, or not to be---that is the question;"で始まる有名な独白がある。この冒頭のところだけだが、1分間にどれくらいの語数を俳優が話しているか、YouTubeをつかって10例ほど計ってみた*4。遅い順から並べてみると、冒頭の1分間で、58語(WPM)/ 60語(WPM)/ 73語(WPM)/ 74語(WPM)/ 75語(WPM)/ 77語(WPM)/ 84語(WPM)/ 94語(WPM)/ 109語(WPM)/ 111語(WPM)という結果で、今回計測した中では、俳優のリチャード・バートン(Richard Burton)のヴァージョンが最も早口だった。

Hamlet

 つまり、ハムレットの独白も、1分間に60語から110語と、2倍速とはいえないまでも、かなりスピードが違うことがわかる。これは、もちろん、間(pause)によるもので、間を長くとれば、語数は当然少なくなる*5。重要なことは、演劇的発話というものが、機械的でないということだ。もちろん人間の発話でも同じことが言えるだろう。

 講演や演説ではどうだろうか。

 たとえば、進歩的歴史家として知られる故ハワード・ジン(Howard Zinn)氏の講演は、内容はもちろんのこと、ていねいで、スピードも遅く、わかりやすいので、講演を聞いてみたい知識人の一人であり、聞く機会があるのだが、ジン氏の講演は120語(WPM)くらいだ*6

 マーチン・ルーサー・キング牧師(MLK)の有名な公民権運動の演説"I Have A Dream"は、格調高い、朗々とした演劇的演出もあり、ゆっくりで、104語(WPM)くらいだった。語彙水準としては、庶民的ともいえるマルコムX(Malcolm X)の演説は150語(WPM)くらいだった。これらの数値は、雑駁なものに過ぎないが、発話としては、たいへんゆっくりな速度が、60WPM~110WPMくらいで、120WPMから150WPMくらいが、ゆっくりでわかりやすい普通の速度ということになるのだろうか。

 読む活動においても、語順の違いを乗り越えて、「理解のともなう音読」や、音の本(audiobooks)を使えば、言語活動学習になる。

 ということで、自分の持っているオーディオブック(audiobooks)の一部を以下調べてみた。

Paperbacks

 これも大雑把な話になるが、オーディオブックは、だいたい150WPM~180WPMのスピードで朗読していることがわかる。

・"1984" by George Orwell(約153WPM) 

・"Harry Potter and the Philosopher’s Stone" by J.K. Rowling

  chapter 1 'The Boy Who Lived' (約160WPM)

・"Travels with Charlie) by John Steinbeck (約165WPM)
・"The Catcher in the Rye" by J.D. Sallinger 

  Chapter 1 (約169WPM)
・"The House at Pooh Corner" by A.A. Milne

 1.'In which a house is built at Pooh Corner for Eeyore'(約153WPM *7 / 176WPM*8 ) 

・"Catch 22" by Joseph Heller

  1. The Texan(約177WPM)  

 もちろん、オーディオブックは朗読だから、ゆっくりとした朗読のスピードが150WPM~180WPMということになる。

 当然、黙読は、これ以上のスピードとなるのだが、少し早口の人の発話はどれくらいのスピードなのか。

 最近、大谷翔平投手の活躍からMLBを見る機会が増えているのだが、Bally Sports Westのリポーターであるエリカ・ウェストン氏(Erica Weston)が少し早口かなと感じている。あわてて書き足さないといけないのだが、WPMは客観的数字であるが、それをどう感じるかという主観的なとらえ方でいえば、母語話者と外国語学習者との間では、かなりの差があるというのが正確な実態だろう。つまり、外国人にとって「早口」に聞こえるだけで、母語話者にとっては、エリカ・ウェストン氏の話すスピードは、けっして「早口」とはいえず、快適なスピードなのだろうと推測する。

 このエリカ・ウェストン氏のインタビュー*9を計ってみると、大雑把な話ではあるが、212WPMで、スピードとしては比較的早い部類に入るだろう。

www.youtube.com

 発話としては早い部類に入るだろうが、これくらいのスピードから、ゆっくりとした黙読のスピードになっていくのだろう。つまり、黙読のスピード(WPM)は、もっと速くなっていく。

 以上、述べてきたことをまとめてみる。

 (1)外国語学習、とくに日本人が英語を学ぶときには、「語順の征服」ができていない時期が長く続く。「直読直解」も「理解のともなう音読」も難しく、日本の言語環境も言語活動を学ぶ環境としては難しいため、英語学習者の圧倒的多数は、「語順の征服」「直読直解」「理解のともなう音読」が不十分なままでとどまってしまうことが少なくない。この時期は、文法学習・語彙学習など、言語学習の基礎学習がおすすめの時期となる*10

 (2)言語活動学習としての教材としては、音声教材が不可欠。いまはYouTubeなど、音声素材は利用可能なものが増加してきている。YouTubeでなんちゃって語学留学もできる。(YouTubeで安全・安心・安価に「 なんちゃって語学留学」 ーそのオンライン英語学習時間割を空想してみたー - amamuの日記) 音声教材を学ぶ際にテキストが不可欠だ。不正確なところも多々あるが、YouTubeなどの書き起こし(transcription) も利用可能である。

 (3)言語活動学習としては、スピードが重要で、大雑把な実証に過ぎないが、実際の言語活動を少し計測してみると、芝居がかって演出もされた演劇や講演としては、60~120WPM。ゆっくりでわかりやすい発話としての120WPM~150WPM。オーディオブックとしては、150WPM~180WPMくらい。早口となれば、210WPM~というところか。

 (4)日本の外国語学習者は、上記(3)の実態を意識しながら、自分のリスニングのちから、リーディングのちからを育てていかなければならない。英語を学んでいく際に、「語順の征服」「直読直解」「理解のともなう音読」を達成しつつ、50WPMくらいから100WPM。100WPMから150WPM。150WPMから200WPMをめざすというように、スピードを意識してスピードを上げていく意識が大事になる。留学生は大量の読書量に悩まされるという。量をこなすにはスピードが必要になってくる。旅客機が空を飛ぶにはスピードが必要になる。滑走路から離陸するスピードが必要になってくるのと同じように、読書にもスピードが必要だ。

 (5)スピードを上げていくためには、パワーとリズム感が不可欠である*11。パワーをつけるためには、言語学習として、文法学習や語彙学習はものすごく重要である。あれこれ乱読・乱聴することも必要だが、自分の学びたい素材を精読し、何度も習熟することが不可欠。今日やさしいBBC Learning English のようなものもあり、これらは145WPM、160WPMといったスピードだが、そうした技術論だけでなく、やはり自分が学びたい教材を自分で選んで学ぶことが重要である。

 (6)アウトプットにかんしては、スピーキングとライティングがある。ライティングについては、言語学習と言語活動学習で養ったちからを土台にして時間的余裕をもって表現できるが、発話のほうは、相手とのやりとりをしながら、スピードが勝負となる言語活動学習となる。自分自身、スピーキングにはその環境がすくなく練習時間を一番かけていないため、苦手意識があり、自信をもって書きにくいところがあるのだけれど、練習方法としては、アウトプットの基礎練習としてのカラオケ(英語学習にカラオケ、おすすめです - amamuの日記 (hatenablog.com) )とシャドーイング (英語シャドーイングが楽しめるPCのセッティング ーヘッドフォンとイアフォン・マイクを使ってー - amamuの日記) がよいのではないかと考えている。

 ということで今回カラオケについて、唄のWPMについても少し調べてみた。選んだサンプルが懐メロで申し訳ないが、そこに意味はない。計測の際には、長い間奏はカットしたが、短めの間奏はカットしていない。つまり、歌唱ではあるけれどそれなりに間のある発話というイメージだ。

 まず、50WPM~60WPM前後の唄。これは、間がとられたメロディで、言葉(単語・語句)は、それほど詰め込まれてはいない印象があるため、外国語学習者にとっては、比較的取り組みやすいだろう。

Will You Still Love Me Tomorrow (Carole King) 1971 (38WPM)

Love Me Do (The Beatles) 1962 (53WPM)

Long As I Can See the Light (Creedence Clearwater Revival) 1970 (55 WPM)

Close To You (Carpenters) 1970 (58WPM)

You’ve Got A Friend (James Taylor) 1971 (60 WPM)

 ポップスなどは、70WPM~100WPM。
Blowin’ in the Wind (Peter, Paul and Mary)  1964(71WPM)

Walk On By (Dionne Warwick) 1964(74WPM)

It’s Too Late (Carole King) 1971 (92 WPM)

How Sweet It Is (To Be Loved By You) 1975 (James Taylor)(94WPM)
I Say a Little Prayer (Dionne Warwick) 1967 (96WPM)

 さらにコトバが増えて、物語的な散文的なものになると、100WPMを越えてくる。外国語学習者にとっては活舌をよくしないといけない。初心者にとってはチャレンジだ。

Lemmon Tree( (Peter, Paul and Mary) 1962 (103WPM)

Alone Again (Naturally) (Gilbert O'Sullivan) 1971 (106 WPM)

 そして、発話に近い、言葉の多い(wordy)唄もある。
Subterranean Homesick Blues (Bob Dylan) 1965 (164WPM)

 ということで、50WPM~60WPM、70WPM~100WPM、100WPM~と、カラオケでもスピードを意識したい。文字が詰め込まれているラップなどでは、発話に近くなり、WPMも高い数字になるだろう。WPMを意識することは、英語学習にいろいろと役立つと思うが、どうだろうか。

*1:言語活動学習ではどんなものを自主的に用いて学んできたか - amamuの日記

*2:言語と言語活動。

 言語(ことば)はどこから生まれるのか。一般にいえば、言葉は、言語活動から言葉・単語・語句(words&phrases)が生まれる。そして単語・語句はひとたび形成されると、それが言語活動の材料となり、言語活動と単語・語句とは相互媒介的に発展していく。そして、形成されたすべての言葉と言語活動の規則(文法)の全体系が、言語(language)ということになる。一般に、言語の全体系(文法)を学ぶところは、学校などの施設においてだろう。

 一方、言語活動は、一人ひとりの言語活動など、個体発生的であり、母語でいえば、一般に、豊かな言語環境のなかで、まさに言語共同体における言語活動として、生活の中で自然発生的に習得するのであり、思考活動・認識活動とともに、言語活動は習得されることになる。したがって、母語における言語活動はどこで展開されるのかといえば、学校というより、家庭であり社会である。

 言語(language)は、系統発生的であり、歴史的・社会的法則にもとづいて変化・発展する。したがって、言語(language)は、特定の思考活動と直接に結びついているわけではない。

*3:日本での外国語の言語活動の習得は難しいと思うのは、目的・動機づけがあいまいであること。さらには、個人の言語活動を形成・発展させる言語環境や言語共同体自体が存在しないからである。

*4:To be or not to be - By nine Hamlets - YouTubeなどを使った。

*5:この点でいえば、初級者用の言語活動学習の教材として、連想ゲームなどのクイズ番組はわかりやすい。間がたっぷり取ってあって、発話も語数が少ないからだ。教材としてのアメリカ合州国のクイズ番組 - amamuの日記

*6:たとえば、"Three Holy Wars"という講演の冒頭のみを計ってみた。

*7:Peter DennisのWinnie-the Pooh, The House At Pooh Corner, When We Were Very Young, Now We Are Sixの朗読CD - amamuの日記で紹介したPeter Dennis 版

*8:カセットテープのThe House At Pooh CornerもiPodに入れてみよう - amamuの日記で紹介したLionel Jeffries版

*9:エリカ・ウェストン氏がセントルイスカージナルスを担当した4年間を終える際のインタビューで、次の職歴はこの時点では不明ということだったが、結局、Bally Sports Westのリポーターとしてエンゼルスを担当することになった。インタビューアーはチャーリーさん。

*10:この意味では、中学・高校(とりわけ中学)段階においては、母語話者の自然なスピードでの学習がむずかしいのは当然のことで、そのため、たとえば若林俊輔氏は、「これからの英語教師」の第17章で「アンナチュラル・スピードのすすめ」を説いている。若林氏によれば、ナチュラル・スピードのおしつけは、「ナチュラル・スピード信仰」「ネーティブスピーカー信仰」ということになる。「中学生(高校生も同じ)は、英語の勉強でおぼえなければならないことが山のようにあるのである。単語も文法も発音も、それぞれに山のようにある。英語の文化的背景も知らなければならない。だから、将来大して役に立ちそうもないことは、当面、学習の目標からはずしておいたほうがいい。草書体しかり。発音記号しかり。そしてナチュラル・スピードしかり、である」(p.70)。学校教育に根差した若林氏の卓見に賛成だが、学校教育を土台にして、その先にある英語学習の見通し路線を考えるときには、「ナチュラル・スピード」やWPMを考えることは必要になってくることも確かなことだ。本記事は、高校生以上を想定して書いているが、高校段階においては、「ナチュラル・スピード」やWPMを生徒に考えさせることは重要な課題とも考えている。

*11:パワー不足からくるリズム感の悪さとスピード感の不足 - amamuの日記

入管法改悪は、民主主義、法治主義、人権擁護、共生社会、国際主義、どれひとつとってみても、日本の後進性が露呈されている

 入管法が、自民・公明・維新・国民らの強行採決によって、改悪された。

 今回の改悪は、難民申請の回数を原則2回に制限することにより申請の繰り返しによる滞在を排除し強制送還・国外退去がしやすくなったこと、そして強制退去までの期間、対象となる外国人を収容する代わりに、「監理人」に監視させる「監理措置制度」を設けることだ。後者は、恣意的拘禁の解決になるものでなく、入管庁の監督権限をある意味「委譲」されるかたちで、支援者・協力者に、管理する側と管理される側という支配・被支配の関係をもちこむことになる。

 スリランカのウィシュマ・サンダマリさん死亡事件により、入管法改悪に関心をもつ人々は増えてきたとはいえ、一部のメディア(「報道特集」など)を別にすれば、メディアの関心も低く報道も少なく、国民の関心は高まることなく、その結果として、静観している日本人が多いと言わざるをえない。

 日本社会は、島国根性が根強く、単一民族ではないにもかかわらず、単一民族神話がまことしやかに信じられ、外国人の存在は、見えない(invisible)存在になっている傾向が強い。すでに20年近くも前に、「日本人は、多かれ少なかれ、「外国人嫌い」(‘xenophobia’) か、「外国人好き」( ‘xenophilia’ )という二つの症状を呈している。ヨーロッパ系白人に対してはゼノフィリアで、それ以外の人間に対してはゼノフォビアという基本傾向」があると、書いたことがある*1

 そうした日本的状況の中で、今回、入管法の改悪がおこなわれた。

 今回の入管法改悪は、民主主義、法治主義、人権擁護、共生社会、国際主義、権力の濫用と暴力性、多文化主義、(思いつくまま並べてみただけだが)どれひとつとってみても、日本の後進性が露呈されている。

 以下、東洋経済から。フランスの日刊紙ル・フィガロ東京特派員のレジス・アルノー氏。

toyokeizai.net

 この記事にあるように、「過剰に官僚化した法務省は、基本的に移民受け入れに反対しており、完全な無責任と不透明さで移民を管理している」(阿部明治学院大教授)ことが、一般国民に十分知らされず、一般国民は、「無関心」「静観」のまま放置されている状態だ。

 けれども、これは移民だけの問題と思うのは危うい。

 問題になっている入管の暴力の実態、人権侵害の実態は、言葉にならない恐ろしいものがある*2

 命の問題に眼をつぶるものは、みずからの運命にも眼をつぶるものだ。

*1:CALLで提出した最終レポート - amamuの日記で、「私の観察では、日本人は、多かれ少なかれ、「外国人嫌い」(‘xenophobia’) か、「外国人好き」( ‘xenophilia’ )という二つの症状を呈している。ヨーロッパ系白人に対してはゼノフィリアで、それ以外の人間に対してはゼノフォビアという基本傾向を除けば、これは元来日本人が人種差別主義者であるということではなくて、国内で外国人に出会うことが極端に少なく、単に慣れていないために、その無邪気さが原因で生じている症状ではないかと思う。差別意識であることに変わりはないが、いずれにせよ、日本人は、このゼノフォビアとゼノフィリアから自由になることが大切だ」と書いたが、「元来、日本人が人種差別主義者であるということではなくて、国内で外国人に出会うことが極端に少なく、単に慣れていないために、その無邪気さが原因で生じている症状」という箇所は認識が甘く残念ながら今日訂正が必要になっている。

*2:仁比聡平議員(日本共産党)は「入管行政の源流には、戦前の植民地支配、戦後の在日朝鮮人の排斥の歴史があるとして「差別と排斥の歴史を終わらせ、保護と共生へ」と呼びかけ」た。

デジタル大臣は否定するが、マイナンバーカード公金受取口座・家族名義13万件は、登録者に起こりがちな「ヒューマンエラー」であり、「誤登録」であり、それらをはじかない「システムのエラー」ではないのか

 河野太郎デジタル相は、日本語の使い方を間違えている。

 「公金受取口座、家族名義が13万件」について、「システムのエラー」ではないと言い切ったが、これは明らかに「ヒューマンエラー」と「誤登録」をはじかない「システムのエラー」である。

 「公金受取口座、家族名義が13万件」について、毎日新聞は次のように報じている。

 「河野太郎デジタル相は7日、マイナンバーと連携した公的給付金の受取口座約5400万件を点検した結果、本人名義ではない口座が誤って登録されていたケースが748件あったと発表した。また、家族内で同じ口座を登録していたケースが約13万件あったことも明らかにした」(「毎日新聞」2023年6月7日)。

 同問題を東京新聞は以下のように報じている。

www.tokyo-np.co.jp

 この問題については、以下のじゅんちゃんの哲学入門講座が詳しい。

www.youtube.com

 河野太郎氏は、次期首相候補として人気があるらしい。またツイッターでは「ブロック太郎」として知られているらしい。号令一下で独断で物事を決めることで「仕事ができる」というイメージをふりまいているようだが、本当にそうだろうか。

 そもそも設計者の意図をマニュアルに書いて示していたように、給付金が支払われる際に本人名義の預金口座でないと振り込まれないのが仕様であるというとき、登録システム上、本人以外の名義の預金口座で登録できてしまうということ自体がシステム上のエラーというべきだろう。登録システム上において、本人以外の名義で登録をしようとすれば、そうしたエラーをシステム上システムがはじくというのが、本来、システム構築上の常識といえるだろう。つまり、預金口座の名義登録の際に、本人以外の名義では登録自体ができず、登録が完了しないというのが本来のシステム構築の仕様なのではないだろうか。自分はシステムエンジニアではないけれど、こんなことは常識だろう。

 ところが、河野太郎デジタル相にとっては、これが常識でないようだ。

 杉尾秀哉参議院議員立憲民主党)のなぜこれまで黙っていたのかという質問に対して、河野太郎デジタル相は、次のように回答している。

 「家族が同一口座に紐づけをするというのは、これは誤登録とか、誤った紐づけではありません。これは本人が意図して違う名義の口座にマイナポータルを通じて紐づけをするということですから、これはヒューマンエラーでもシステムのエラーでもない。…おそらくお子さんへの給付を親御さんが管理をしようとか、あるいは口座をひとつにして、出入金を明確にしようとか、いろんな理由があったんだろうと思いますが、ご本人が意図してそういうふうにやられたわけでございます」(河野太郎デジタル相、2023年6月5日)。

 この回答の中の、「お子さんへの給付を親御さんが管理をし」たいとか、「口座をひとつにして、出入金を明確にし」たいというのは、国民にとってはよくわかる想定であろう。そうした想定される「誤登録」をシステム上はじくというのがシステム構築の常識ではないのか。そんなことにも思いが至らない者がデジタル相をやっているのか。

 もしかして、これは言い間違いではないかと、続けて答弁を聞いてみると、次のようにも回答している。驚くべきことに、これは大臣の言い間違いではないではないようだ。

 「これは、誤登録でもなければ、システムエラーでもありません。それぞれの方々がご本人の名義で口座登録をして下さいというものを意図的に口座を寄せたということがあったわけでございます。・・・ご本人が意図してされたわけでございますので、これはたびたび申上げているようなヒューマンエラーではなく、またシステムのエラーでもございません。これはご本人に補正をお願いをしていくということになります」(河野太郎デジタル相、2023年6月5日)。

 そうであれば、これは河野太郎大臣の認識が誤っている。

 繰り返しになるが、まず、そもそもマニュアルに設計者の意図を書いているように、給付金が支払われる際に本人名義の預金口座でないと振り込まないのが仕様であるのだから、登録システム上、本人以外名義の預金口座で登録できてしまうということ自体がシステム上のエラーというべきだ。

 ヒューマンエラーとしての「誤登録」を避けるしかけを登録システムに入れておくのがシステム構築であるべきなのだから明らかにこれは「システムのエラー」なのである。

 一言で言えば、登録者に起こりがちなよくある想定される「ヒューマンエラー」であり、まさに「誤登録」であり、それをはじくことのできない「システムのエラー」に他ならない。

 河野太郎大臣は、デジタル相である。こんなことがわからないのでは、デジタル相にふさわしい資格があるとは到底いえない。故安倍晋三元首相の「幅広く募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」と、募っているけど募集はしていないというでたらめの日本語と同じように、日本語の使い方がでたらめだ。その意味では、「底抜けのポンコツ」と言われてもしかたないだろう。

 詳述は避けるが、そもそも、岸田政権は、やるべきことをやらず、やってはならないことをやるアベコベ政治において、安倍政治以上に強権的で、悪法を次から次へと通している。

 やるべきことをやらず、やってはいけないことをやっているアベコベ政治。岸田政権は、安倍政治以上の強権体質で勝手に大軍拡や入管法改悪など、閣議決定で決めたとしてしまったり、数の論理だけで悪法につぐ悪法を次から次へと通している。

 そもそもマイナンバーカードは、「マイナ保険証」に他人の情報が登録・コンビニで他人の証明書発行・登録抹消の印鑑登録証明書が発行・住所変更未反映の証明書が発行・公金受取口座が別人のマイナンバーに登録・マイナポイントが他人に付与など、問題だらけだ。

 マイナンバー制度では、国民支配をもくろんでいること。そもそもマイナンバーカード導入自体に莫大な利権がからんでいること。マイナンバーカード導入は、そもそも、国民のためを考えてのものではない。したがって、ミスや問題を隠ぺいするのは当然のことだ。

 保険証をマイナンバーに紐づけて紙の保険証をなくすという悪法が6月2日に採決されたが、エサで釣り、性急のあまり、これほどずさんなマイナンバーカード自体がまさに悪政による「ヒューマンエラー」であり、マイナンバーカードの問題は、今後日々ますます明らかになっていくだろう。

 マイナンバーカードのゴリ押しは、今後、ますます、その問題性が白日の下にさらされることになるだろう。

英語学習にカラオケ、おすすめです

 植民地根性に陥っては身もふたもないのだけれど、外国語を学ぶ際には、多少は真似ることが必要だ。

 外国語を学ぶ際には、音読やシャドーイングもよい練習とされる。インプットとアウトプットに唄*1や映画*2やテレビ番組*3を教材に使うのも悪くない。

 ということで、今回は、カラオケ*4の効用について書く。

 カラオケの効用の前にひとつだけ。英語シャドーイングについては、以前、以下の記事で書いたことがある。

amamu.hatenablog.com

 これは、PCとヘッドフォン・イアフォン・マイクをつかってのシャドーイングについてを書いた。シャドーイングにつかうモデル材料は YouTube にある。それで、あなたのPCハードディスクに入っているかもしれない洋楽なども材料に使えるだろうという文脈で、次のように付記した。

本格的なカラオケとはいえないけれど、PCに好きな洋楽を取り込んでいれば、カラオケ的に歌って楽しむこともできる。

 最近は、YouTube のコンテンツの充実がいちじるしい。著作権はだいじょうぶなのかというくらい何でもある*5

 それで、本論のカラオケだが、これも今やすでに YouTube に何でもあることを最近知った。歌詞(lyrics)もついているから、歌詞を見ながら歌える。カラオケなのだが、これは電子黒板で音読しているようなものだ。昔は、歌詞カードを見ながらレコードを使って歌ったものだが、これは隔世の感がある。

 "karaoke songs with lyrics"”YouTube"などの語句で検索すればでてくる。ご希望のアーティストの名前を入れてもよい。

 インプットとアウトプットをバランスよく学ぶという点では、英語学習者に圧倒的にアウトプットが少ないもとで、実際に発音をしてみる、発話をしてみる、音読をしてみる、歌ってみるというのはとても大事なことだ。

 実際にアウトプットをしてみて、理解が深まる、インプットも伸びる、歌ってみて英語がよくわかるということがある。

 言語体系の文法を学ぶ際には、時間をかけることができる。これが言語学習。語彙増強も、じっくり時間をかけて蓄えることができる。これは、ラングのお勉強と言ってもよい。

 一方、言語活動を学ぶ際には、時間をかけることはできない。リスニングなど、相手のスピードについていき乗っていかないといけない。スピード・リズムが大切になる。そのためのパワーが必要になる*6。これは、パロールのお勉強と言ってもよい。

(1)カラオケは言語活動的だから、スピードの重要性について理解できる*7

(2)スピードとリズムの練習になるので、音の連結(linking)や押韻、発音に意識的にならざるをえない。

(3)こうした言語活動の練習の結果として、語彙力増強(vocabulary building)と慣用表現(idiomatic expressions)が身につく。

 最近はテレビでYouTube を見ることもできるから、以前の記事で紹介したようなPCセットも必要ない。YouTube で好きな唄を歌うだけだ。

 ということで、英語学習、とくに言語活動の学習に、カラオケはおすすめである。

 では、なんの唄を歌ったらよいのか。

 興味のある唄ならなんでもよいだろう。

 といっても、何のてがかりもない方向けに、何か一曲だけ紹介するとすれば、比較的簡単な歌詞で、超ゆっくりで、多少歌いやすいものとして、Carole King の"Will You Still Love Me Tomorrow" *8を以下に張りつけておこう。

 これが一番おすすめというより、あくまでもカラオケのサンプルとして考えていただきたい。ただスピードの点でいえば、この唄は本当にゆっくりだから初心者におすすめだ。

www.youtube.com

 

 実際に歌ってみると、「よくわからなかったけれど、つまるところ、これは失恋の唄なのね」「ああ、こんな唄だったのか。知らなかった」「これは日本でいえば入魂の演歌だな」「たわいのない、毒にも薬にもならない唄だな」など、いろいろな発見があって面白い。これは自分で経験しないといけない言語(活動的)体験だ。

 さて、カラオケで選ぶ唄は次の観点で選ぶとよいと思う。

(1)語彙的に文法的に、意味のかたまり(sense group)(breath group)として、わかりやすい歌詞を選ぶ。
(2)スピードでは、ゆっくり感じられるもの(60WPMくらい)から段階的に早く感じられるもの(140WPMや160WPMなど100WPM以上)へ。
(3)音程で歌いやすいもの。
(4)アクセス回数をみてどの程度人気があるかを知り、唄の評価を相対化する

 時間をかけてじっくりと学ぶ言語学習としては次がおすすめである。

(1)語彙でわからないものを辞書で調べる。

(2)慣用表現を調べる。慣用表現は、辞書より、インターネットなどのコーパスビッグデータで調べたほうが効率よく調べられるだろう。

(3)ヒットソングであれば、背景的解説も読んでみる。

 そして、まさに言語活動学習として、実際にカラオケで歌ってみる。

 すると、舌がもつれてうまく歌えないことに気がつくだろう。呼吸法を意識するだろう。身体にも意識が及ぶだろう。けれども、カラオケで歌うことは「理解のともなう音読」*9の練習となって、徐々に語彙も慣用表現も身体に入ってくることだろう(internalize)。そして、段々に、唄のメッセージがイメージ豊かに頭に入ってくるだろう。

 ということで、言語活動学習として言語学習として、カラオケで英語学習はおすすめなのである。

*1:かけだし英語教師の頃に編んだインプット用のソングブックがある。かけだし英語教師の頃に編んだソングブック - amamuの日記

*2:かけだし英語教師の頃よく映画を教材にしたことがある。次はその一端。映画”Oh, God!”を久しぶりに観た - amamuの日記

*3:テレビ番組ではクイズ番組が比較的扱いやすいと思う。クイズ番組について、次の記事を書いたことがある。教材としてのアメリカ合州国のクイズ番組 - amamuの日記

*4:カラオケは、英語でkaraokeと綴るが、その発音は、カリオーキと発音することが多い。これは「カラの」「オーケストラ」というそもそもの日本語の合成語の成り立ちを知らない英語母語話者の発音だからだろう。

*5:YouTube上の著作権については、本来著作権上問題があるのだが、著作権者から放置されている例も少なくないようだ。

*6:言語活動とリズム・スピード・パワーについては、何度か書いたことがある。ふたたび「言語活動」について=「リズム」「スピード」「パワー」= - amamuの日記

*7:スピード・リズムについていくためのパワー不足とパワーの必要性も感じるはずだ。パワー不足からくるリズム感の悪さとスピード感の不足 - amamuの日記

*8:Carole King のアルバム"Tapestry"からのヴァージョンだが、女性グループのシュレルズ(The Shirelles)による1961年のシングルは全米1位を記録している。

*9:「理解のともなう音読」とは私の造語で、一分間に160語くらいのスピードでゆっくりと、自分で音読しながら、そのままの語順で理解できる直読直解式の音読のこと。初級者の段階では、「音読」と「理解」は分裂しているのが普通。かなりの練習を積まないと「理解のともなう音読」は難しい。100WPMくらいで「音読」と「理解」がなんとかつながってきても、不安定な状態が続くだろう。また同一の学習者であっても、「理解のともなう音読」が可能か否かは、もちろん語彙水準や使われている文法水準によって異なってくる。日本語と英語とでは、統語論と語彙がまるで違っているため、いわば語順の違いを乗り越える「理解のともなう音読」は、「語順の征服」が不可欠となり、通常、日本人にとっては簡単な課題とは言い難い。

人工知能AIと合州国シナリオ作家たちのストライキ

 それまでの伝統的な放映だけでなく、DVDのディスクやストリーミングサービスがあらたに加わっていく状況の変化の中で、新しいメディア放映方式に対する自分たちの取り分が少ないと不満をもったシナリオ作家たちによって100日のストライキ*1となった2007年。

 再度この5月2日から、1万Ⅰ千人にものぼるテレビ・映画のシナリオライター達によるストライキ (Writers on strike)でテレビ番組などの製作が止まった (many productions halted)。twitterを見ると本日もピケを張っているようだ。

 ギグエコノミー(gig economy)といわれるように、近年インターネットで仕事を見つけるフリーランス的な単発の仕事も増え、働き手の立場と価格が切り下げられ、流動化・不安定化している。一方、制作者側は、大幅な人員削減も検討しているようだ。

 フール―(Hulu)やHBO(HBO)、アマゾンプライム(Prime)、ネットフリックス(Netflix)、ディズニー(Disney)などのストリーミングの巨人企業は、大幅に儲けている一方、シナリオ作家たちの仕事はその価値が低下し、十分食べていけるだけのものをライター達に与えていない状況に追い込んでいる。多くのハリウッドスタジオやストリーミング会社・制作会社を代表して、シナリオ作家たちと契約の交渉にあたっている映画テレビ制作者同盟(The Alliance of Motion Pictures and Television Producers (AMPTP))に対して、10数年ぶりに脚本家組合(the Writers Guild of America (WGA) )がストライキに入った背景には、以下の動画ではあまり触れていないけれど、最近話題になっているAIも大いに影響しているようだ。

 以下は、Democracy Now!から。

 人気テレビドラマ「アボット小学校」("Abbott Elementary")の制作者のひとりであるブリタニ―・ニコルス(Brittani Nichols)のインタビューを聞くことができる。

www.youtube.com

 

 テレビ・映画の制作側は、熾烈な競争の中で、テレビ・映画製作の持続可能な安定性を追求するため、コストを抑えたいのだろう。人件費削減をはかるために、最近話題になっているAIを使って、AI(人工知能)に作文させたものをシナリオライター達に推敲させることも視野に入っているようだ。

 今日シナリオ作家だけでは食べていけないシナリオライター達が、さらにAI(人工知能)に仕事を奪われる危機感から、ストライキが行われている。

 これはシナリオライター達だけの問題ではない。シナリオライター達も強調しているのだが、明日は我が身ということを忘れてはいけないと主張している。

 

 以下は本ストライキを伝えている日本語記事。

「公平な支払いを」米脚本家のストライキ、巨額報酬を手にするCEOとの格差を指摘 | ハフポスト WORLD

 

ハリウッドで脚本家らがストライキを開始 その経緯と現状とは? | Branc(ブラン)-Brand New Creativity-

*1:2007年11月から2008年2月にかけての4ヶ月中の100日。

アメリカ合州国の国境政策・タイトル42

 アメリカ合州国とメキシコとの国境線*1・「アメリカ・メキシコ国境」(Mexico-United States border)に多くの難民・移民希望者(migrants)が膨大に膨れ上がって押し寄せ(massive surge)混沌とした状況(crisis at the border)になっている*2

U.S.-Mexico border (from Google)

 以下は、カリフォルニアのサンディエゴ付近で、アメリカ側とメキシコ側の2つの国境の壁に閉じ込められた人たち。エル・パソなどテキサス州の国境にも大挙集まっている(historic migrant surge)ので、この人たちは全体の一部に過ぎないが、非人道的な(inhumane)人道的危機(humanitarian crisis)が進行している。合州国側で、見るに見かねた人たちがボランティアとして食料や水を供給している。

www.bbc.com

 カリフォルニア州のサンディエゴ付近に加え、サン・イシードロ国境検問所、アリゾナ州のユマ、テキサス州エルパソ・ブランウズヴィルなどの様子がテレビで報道されている。

 またすでに入国した移民たちがシカゴ・デンヴァ―・ニューヨークの収容施設(shelter)にあふれて収容施設が不足している状況が生まれている。

 これはトランプ政権時代の国境政策・タイトル42*3がこの5月11日に失効することから、なんとか国境を越えてアメリカ合州国に入国して保護を受けようとしている難民・移民希望者が後を絶たないためである。

www.bbc.com

 アメリカ合州国側は、タイトル42の失効が、難民・移民たちにとってただちに開放政策を意味するわけではない("our border is not open")と、難民・移民を退けるための法的強化を考えている。

 トランプ前政権は、不法移民を即時送還したいため、新型コロナ対策の名のもとにタイトル42を用いた。このために、即時送還された難民・移民と、強制送還された移民希望者は保護されず劣悪な環境に落とし込められ、その被害が増大している。移民手配をしてやると移民希望者に近づく不法手配者(smugglers)も後を絶たない。

 民主党は、人道的視点からタイトル42に批判的だったが、パンデミックからバイデン政権はタイトル42を引き継がざるをえず、その失効を前にして揺れている。共和党は2年間の無策だとバイデン政権を批難している。

 こうした国境政策が来年の次期大統領選の争点のひとつになることは間違いない。

 もう40年以上も前の話になるが、グレイハウンドバスでアメリカ合州国を周遊していたとき、メキシコからリオグランデ川などの川を越えて(river crossing)背中を濡らして不法にアメリカ合州国に侵入してきた人間を「ウェットバック」というと聞いて記憶にとどめたことがあるが、実はこれは非常に排他的で差別的なため使ってはいけないタブー語のひとつになっている。

 それくらいアメリカ合州国にとって、移民問題*4にからむ南の国境線は大問題なのであるが、ここ数年さらに問題は深刻化している。経済格差という分断が進む世界で、一か八か、なんとか入国できないものかと誤情報も手伝って難民・移民がアメリカ合州国連邦政府の保護施設(asylum)を求めて怒涛のように押し寄せている。

 けれども、こうしたアメリカ合州国がかかえる深刻な問題の報道に日本のメディアが消極的なのはどうしてなのか。まったく不思議だ。

 以下は、The New York Timesから。

www.nytimes.com

 以下は、アイリッシュタイムズから。

www.irishtimes.com

*1:アメリカ合州国側からすると、カリフォルニア州アリゾナ州ニューメキシコ州テキサス州という4つの州が隣接している。

*2:アメリカ合州国は、タイトル42失効後も、ハイチ・キューバニカラグアベネズエラからの移民を受け入れるとしている。今回の群衆の内訳は、メキシコ人だけでなく、グアテマラホンジュラスニカラグア・コロンビア・ベネズエラキューバエルサルバドルなど南米からも集まっている。さらに中東やトルコ・アフガニスタンジョージア・ヨーロッパからも来ているとCBSが報じている。

*3:タイトル42とは、そもそもが1944年の公衆衛生法の一部で、外部から導入される伝染病から守るためのもの。

*4:移民不在の日 - amamuの日記