Language Education

マオリ語委員会の仕事

英語でいうと、Language Commissionにあたるタウラフィリ・テ・レオ(Taurawhiri te reo)という組織がある。日本語なら、「マオリ語委員会」というようなところだろうか。 園長の話では、マオリ語は、部族ごとにコトバが違うが、コミュニケーション的に問題は…

ウォッカもはいって、イングランド言語史を、ジュピターにぶちまける

ジュピターが手土産に持ってきたものは、クリストブ(Kristov)というウォッカだった。 ニュージーランドでも、一日ビールの小瓶1本くらいしか飲まない私はウィスキーなどの強い酒は全く口にしない。いわゆるスピリッツをほとんど飲まない私は、「これ、ウォッ…

文化衝突後に引き続く「同化」政策を乗り越えて、自立・多様性・共生の時代をめざす

西洋文明との接触は、オランダ、そしてフランスとイギリスとの競争など、ヨーロッパ諸国間の矛盾はありながらも、結局は英米のもつ圧倒的経済力と軍事力、そしてキリスト教という神学上のイデオロギーと、司法・行政・立法上の社会制度の導入、そしてそれら…

マオリ語公用語化も、ワイタンギ条約をめぐる審判所での申し立てから始まった

基本的人権の中で重要な位置をしめるものは、なんと言っても生存権だろう。生存権が保障されなければ、他の権利の保障は無意味だ。 もちろん労働する権利、労働権も重要だが、労働権を保障するためには、なんといっても教育権が保障されなくてはならない。教…

CALLの読書課題で面白い論文を二つ読んだ

もう先週の話になってしまうのだけれど、そのCALLの読書課題で、面白い論文を2つ読まされた。 CALLの課題は週ごとにテーマが決まっているだが、先週のテーマは、「少数民族言語とCALL」といった感じの内容で、簡単にいえば、話者の減少により言語文化として…

母語という思想

「母語」というコトバを定着させたのは、言語学者・田中克彦氏の思想的功績である。田中克彦氏の名著である「ことばと国家 (岩波新書)」はあまりにも有名な本であるが、ことばの問題を考える全ての人が読むべき必読文献である。

奥田民生の「E」

ライナーノーツという音楽番組がアルバム「E」を取り上げていたことがあり、これは奥田民生自身が言っていたことなのだが、われわれが責任もてるのはアルファベットくらいという意味が「E]という曲にあると聞いたことがある。この奥田の姿勢は気持ちがいい。…

やっぱり英語なんかに責任なんかもてないや

日本の高校で英語教師をしているものがこんなことを書くと免職になるような気がするので書きづらいのだけれど、わたしは何十年もイギリス語を学んできているけれど、イギリス語なんかには責任なんか持てないというのが自分の気持ちとして正直なところだ。 東…

ヘルプの思想が重要

教師や友人どうしがヘルプし合うことが大切である。教師は、そうした環境をつくってやる必要がある。 そもそも点数でもって、合格・不合格を決めたり、評価の結果を固定的に考えるのは、よくない。学習者にやる気をもたせ、常にヘルプをしてあげる姿勢が教師…

なんだかんだいっても、やはり「文法力」と「語彙力」ではないか

マオリ語を学んでいて、つくづく感じるのは、なんだかんだいっても、文法的規則をマスターすることと、語彙力を幅広く身につけることが大事なのではないか。その方法論は、いろいろな状況があるから一概には言えないし、乱暴にいえば、方法論などどうでもい…

コミュニカティブアプローチの目的と導入するための条件

マオリ語による口頭発表を生徒の立場でやってみて、コミュニカティブアプローチがよいと私が思う点は、「自分でも外国語が話せる(のではないか)という自信がつく」「外国語を使える喜びを味わえる」「達成感がある」ということだろう。確かにこれはいいこ…

担当教授から少しほめられた私のCALL個人史

CALLの課題の中で、大学でCALLを修了させた学生が、教育現場に入り、CALLを活用して外国語教育をすすめようとする際に、大学から離れても、引き続きどのように自分を鍛えて再教育していっているのかという個別質問があった。読書課題に指定されたある論文に…

母語を話す権利

彼女のこうした見解は、ごくごく普通のものなのかもしれない。 現在、ニュージーランドの小学校では、マオリ語がカリキュラムとして学ばれているけれど、ジュディは、これは問題ないと言った*1。「だけれど、ニュージーランドでは、英語なのよ」とジュディは…

母語を話す権利、言語権は重大な課題ではないのか

私の大学選びはいよいよ佳境に入っているが、もし間に合うならワイカト大学(The University of Waikato)にしようと思い始めている。 理由はいくつかあって、ひとつはワイカト大学(The University of Waikato)にもTESOLがあること。先住民族マオリのことを…

大言語・英語を教えるという仕事のもつ意味

それにしても、多くはないか、日本に来る場合、英語を教えるというパターンが。生まれながらにして英語を母語にしている人はきっと幸運なのだろう。甘い日本人に英語を教えて多少の金になるのだ。言語を教える資格がどれほどあるかわからないのに、英語を話…

広大な英語文化圏に対して、アジア文化圏の連帯は大丈夫か

こうした一大英語文化圏の存在を旅をしながら身体で実感してくると、私の中にアジア人としてのナショナリズム意識が頭をもたげてくることを否定できない。個人的なことを言っているわけではないのだが、イギリス系が世界を牛耳っているのを見るにつけ、さら…

「英語できますか?-究極の学習法ー」井上一馬(1998)を購入した

「英語できますか? -究極の学習法ー」(1998) 「英語できますか?」井上一馬(1998)を購入した。 斜め読みしていて気になる箇所があった。著者の議論には、ESL(English as a Second Language)とEFL(English as a Foreign Language)の議論が必要となるだろう…

「外国語教育とイデオロギー」中村敬 (1993)を購入した

「外国語教育とイデオロギー」中村敬 (1993) 「外国語教育とイデオロギー」中村敬 (1993)を購入した。

「FENで英語をモノにする本」松本道弘(1989) を購入した

「FENで英語をモノにする本」松本道弘(1989)を購入した。 著者は、「プロローグ」で、「FEN英語を語る前に、FENが軍事放送であることを隠すわけにはいかない」「FENの上部組織はアメリカ国防総省である。つまりDOD。そのずっと下にAFRTS(国防総省広報局)…

「武器としてのことば」鈴木孝夫(1985)を購入した

「武器としてのことば」鈴木孝夫 (1985) 「武器としてのことば」鈴木孝夫(1985)を購入した。

「言語の思想」田中克彦(1975)を読了した

言語の思想 (1975) 「言語の思想」田中克彦(1975)を読了した。 本書は何度でも読まなければいけない労作。

「ことばと国家」田中克彦 (1981)を読んだ

ことばと国家 (1981) 本書によって眼が開かれたことは少なくない。 たとえば「母国語」でなしに「母語」(ぼご)というコトバは著者から初めて学んだ。 言語学者・田中克彦氏による労作である本書は、ことばに関心を寄せる全ての人たちにおすすめだが、もち…

最近は、短波ラジオをつかって、外国語の放送を聞いている

最近は、短波ラジオをつかって、外国語の短波放送を聞いている。 VOAのSpecial EnglishのNews。Chinese English の語学講座。ラジオ韓国(KBS国際放送)の「韓国語講座」。ピョンヤン放送のRadio Pyongyang。北京放送の日本語講座。BBCの英語放送。FEN。モス…

「学校英語にいま何が」大浦暁生・阿原成光編(三友社出版)(1982年)を購入した

「学校英語にいま何が」大浦暁生・阿原成光編(三友社出版)(1982年)を購入した。 学校英語にいま何が (1982) 「学校英語を語ろう! <市民として教師として>」と題する國弘正雄さんと小田実さんの対談は読みごたえがある。 芝田進午氏の「わたしにとって…

「ことばと文化」鈴木孝夫(1973)を読んだ

ことばと文化 (1973) 私の持っている版は1981年の第14刷。岩波新書のベストセラーの「ことばと文化」鈴木孝夫(1973)を読んだ。 「ことばの構造、文化の構造」のところでは、英単語 break を用いての「ことばの構造性と辞典の記述」の 説明がわかりやすい。つ…

「教育労働の理論」芝田進午(1975)を購入した

「教育労働の理論」芝田進午 (1975) 「教育労働の理論」芝田進午(1975)を購入した。 論文「国際連帯と外国語教育の改革」所収。